わたしは、オンナだてらに17歳になってすぐに単車の免許が欲しくて教習所通いしました。小型車からの教習所に通いになりましたが、中型免許の試験も一回で合格でき、晴れてバイクヤローの仲間入りができました。
わたしの愛車はヤマハ・FZ250フェーザー。
赤と黒の柄でタンデムシート。モリワキのエミュー管をつけていました。同級生とは、千葉や伊豆、富士山までツーリングに行ったり校則違反ですがバイクで通学をしていました。
FZ250フェーザーのエンジン音
事故は高校の帰宅時
バイクで事故を起こした時は、その高校の帰宅時です。国道4号線を通って帰るのが、わたしのルートでした。国道ということもあり、朝もとても交通量が多いところです。その日、私は体調がすぐれず、母に早退することを電話で告げました。母は、バイクで通学しているのを知っていて「今日は、置いて電車で帰りなさい」と言ったのですが、愛車を置いておいて悪戯をされるのも嫌だったので、乗って帰ることにしたのです。
土曜日の13時過ぎ。道路は、やはり交通量が多く渋滞もしていたのでバイクのスピードを上げることもなくクルマの波に乗って運転していました。秋葉原を過ぎ、御徒町周辺になると道幅も狭くなるので無理に道路の真ん中入らないで左側の路肩を走っていました。
右前にいた車が…
上野の周辺になり、あと10キロぐらいだな~と思っていたその時、私の右前にいた車が左にウィンカーを出したのです。「巻き込まれる!」そう思い、とっさにクラクションを鳴らしたのですが、そのあと気が付けば私は道路に転がっていました。「アスファルトの上って、ひんやりするんだ」そう感じながら、フルフェイスのスモークから見えるビルに囲まれた隙間から見える青空を仰いでいました。
脚はOK。指はOK。出血なし。腕は…
そしてすぐに、感覚の確認。脚はOK。指はOK。出血なし。腕。。。。
腕はついていましたが、ぶら下がっていました。
クルマを運転していた人がすぐに出てきて「ぶつかってきたのは、あんただから!」といわれました。後から警察で聞いた話では、事故を起こすのは初めての人だったらしいです。
救急車で救急病院に運ばれた私は、鎖骨を骨折していることを告げられ、医療費の請求をその場でされました。まだ高校生だったので、持ち合わせがないことを告げても病院は「支払わないと帰さない」の一点張り。
母にも連絡がつかず、姉に連絡して迎えに来てもらいました。そして、その足で警察にも呼び出され事情聴取されたのです。「あんたも、免許を持っているんだから あんたも悪い」と、一方的に言われ「私も悪い」と警察が書いたものへ署名をするように言われたのです。
痛みと悔しさで涙が…
痛みと悔しさで涙がでました。相手は、さっさと帰宅したらしいです。事故処理後、私は相手の車の前輪にぶつかったことが証明され、相手が急に曲がってきて巻き込まれた事が証明されました。
私は鎖骨骨折で、自宅付近の病院に入院。全身麻酔をして手術をしました。あの交通量の多い国道で事故に会い道路に投げ出されて、後続の車に引かれなかったのは不幸中の幸いです。しばらくは、突然起こった事故の恐怖に、夜も高いところから突き落とされる怖い夢にうなされました。
事故後…
全治6か月。いまだに左腕は、真上にあげられません。時折、首が回らなくなります。バイクは、オイルタンクに損傷を大きく受け廃車になりました。この事故で、私は、オトナのズルさと自分自身の認識の甘さを感じました。「バイクで死んでも悔いない!」と思って過ごしていましたが、毎日のように面会に来てくれた母へ申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
保険会社の人も、子どもだと思って言いたい事を言い、保険会社同士も繋がりをもっていることも痛感しました。万が一事故を起こした時のために、道路交通法や法律を知る事がとても大切だと思っています。