私は20歳の時に中型二輪免許を取得し、23歳位からサーキット走行を初め、26歳の時に大型二輪免許を取得しました。初めて乗った大型二輪バイクで、まさかあのような大事故に合うとは想像もしていませんでした。
初めて買った大型二輪車は
初めて買った大型二輪車はスズキ GSX-R1000 k3 (2003年モデル)でした。当時、乾燥重量に対して初めてパワーウェイトレシオが1.0を切ったモンスターバイクとして知られており、事実私も乗り換えただけでサーキットでのラップタイムは10秒以上更新されました。もてぎサーキットではホームストレート、バックストレッチで298kmをマークするほどの加速性能とコーナリング性能に、いつしかバイクの性能は自分自身の技術と錯覚させられていったのです。
言わずと知れたモンスターマシン。GSX-R1000 k3
ツーリングをした帰りに…
その夜はバイクに乗りたい、と言っていた同僚の女の子を後ろに乗せてツーリングをした帰りでした。彼女を家まで送り、自身も自宅に帰る途中、事故は起こりました。帰路の途中から雨が降り出し、路面はウェット状態。また、長距離を二人乗りしていた疲れもありました。走りなれた道、帰路を急ぐ私は、バス停に止まるバスを右斜線(片側二車線)から追い抜こうとすると、目の前に横道から飛び出してきた自動車が止まりました。
私はパニックブレーキをかけ、前輪がスライド、車に衝突する前にバイクは転びました。そのまま路面をすべるようにバイクは自動車の下へ滑り込み、私は相手の自動車に衝突し、意識を失いました。
救急車の中で2回の心停止
脳挫傷、骨盤骨折、内臓(肺など)損傷、重症で病院に運び込まれた私は、救急車の中で2回ほど心停止があったと聞いています。ICUに運び込まれた私は自力で心臓を動かす力もなく、外からの機械による補助で大量の輸血をされて、3週間意識不明でした。バイクは当然廃車、相手方の車はレンタカーで写真をみた限りでは自走可能、外装に凹みがある程度だったのを覚えています。幸運なことに相手方の車両に乗車していた方々に怪我はありませんでした。
病院では意識が戻れば奇跡、戻っても後遺症は残るでしょう、という診断でした。幸運なことに、私の意識は戻り、後遺症も残らず、今は開発エンジニアとして就労しています。ICUに3週間、救命センターに入院3ヶ月、転院してのリハビリ活動に3ヶ月、計半年以上の入院生活をし、社会復帰を果たせたのは事故から8ヶ月後でした。
この事故で私が入院している間にも、意識不明だった間、たくさんの友人が駆けつけてくれました。長いこと音信不通だった(仕事の関係で)先輩までもが友人経由で話を聞き、あわてて駆けつけれくれたのを覚えています。
事故から10年目の今年、サーキット復帰
私は今でも2輪車に乗っています。サーキット復帰も事故から10年目の今年になってようやく果たしました。今後はレース活動にも参戦していくつもりです。
この事故から私が学んだことは…
「バイクはエンジンという、常人をスーパーマンに換えてしまうテクノロジーを搭載している「武器」であり、その武器は時として自身を切りつける可能性のある諸刃の剣である」という事です。
自分の命の価値を決めるのは
そしてまた、自分の命の価値を決めるのは自分自身ではなく周りの人たちだということ。例え自分自身の命であっても、それが周りに与えている影響を考えなければいけない、ということです。バイク事故は一回で命を奪う可能性もある、恐ろしいものです。事実、私の友人も他界しています。それではバイクが悪いのでしょうか?
バイクは所詮機械です。機械を操るのは人間そのものです。人が正しく機械を理解し、自分自身も制御できた時、機械は初めての役割を100%発揮できるのでしょう。危険から遠ざかれば安全なのではありません。危険を身近に置きつつもそれを上手く制御していけることこそ、安全に繋がると私は考えます。