富士重工業は1984年、軽自動車「スバル・レックス」と小型乗用車「スバル・レオーネ」の間を埋めるBセグメントハッチバック車「スバル・ジャスティ」を発売しました。2代目レックスをベースに開発され、サスペンション形式や駆動方式など基本メカニズムが踏襲された一方、量産車で世界初となるベルト式変速機ECVT(CVT)が設定された事が最大のセリングポイントとなりました。
パートタイム4WD車も用意
ボディタイプは3ドアと5ドアが用意され、スタイリングはレックスの流れを汲む直線基調のプロポーションを備えていました。ボディサイズは全長3,695mm×全幅1,535mm×全高1,420mmで、レックスからそれぞれ500mm×140mm×70mm拡大され、ホイールベースは30mm長い2,285mmに設定されていました。
サスペンションは4輪ストラット式による4輪独立懸架が踏襲され、駆動方式も同様にFFとパートタイム4WDが設定されました。パートタイム4WD車の駆動方式切替は、シフトノブ上のスイッチを押して行う方式でした。エンジンは、当初用意されたのは1L直3SOHC2バルブ・シングルキャブレター仕様のEF10型で、最高出力48ps/最大トルク8.2kmgのスペックでした。
トランスミッションは、当初は5速MTのみの設定でした。そして翌1985年秋に、1.2L直3SOHC3バルブ・シングルキャブレター仕様のEF12型エンジン(最高出力67ps/最大トルク9.6kgm)搭載車が追加されました。次いで1987年、世界で初めてゴムベルトに替わりスチールベルトを採用すると共に、電子制御電磁クラッチを採用したECVT車が設定されました。
スバル ジャスティのCM
新車情報’87 スバル ジャスティECVT
ビッグM/Cで1.2L車に一本化
続いて翌1988年秋にビッグマイナーチェンジが実施され、エクステリアデザインが一新されると共に、エンジンが電子制御キャブレター化されたEF12型(最高出力73ps/最大トルク10kgm)に一本化されました。同時に、5速MT仕様のみだったパートタイム4WD車にECVTが設定されました。
ジャスティのCM「SUBARU MOVIN’ JUSTY 登場編」(1988)
マイナーチェンジ当初のグレード体系は、下から「M」「Mf」「R」「Rf」のラインナップであったものの、翌1990年秋には「L」「マイム」「マイムアルファ」「マイムⅡ」に変更されました。次いで1991年のマイナーチェンジでパワーステアリングとカーオーディオが標準化されると共に、エントリーグレードのLが廃止されました。
続いて翌1992年には、グレードがマイム/マイムⅡのみに整理されました。そして1994年、スズキからのOEM供給車となった2代目モデルにバトンタッチして生産終了となりました。2代目モデルは輸出専用車となった為、国内向けジャスティは1代限りでラインナップから消滅する事となりました。