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マセラティの車種一覧(現行車種・過去車種)

マセラティの現行車種一覧

ギブリ / レヴァンテ / クワトロポルテ / グラントゥーリズモ / グランカブリオ

マセラティの過去販売車種

ボーラ / メラク

 

マセラティの概要

マセラティ3兄弟により設立されたイタリアの自動車メーカー、マセラティSpAは、創業から100年以上を数える老舗ブランドとして著名な存在で、現在はフィアット・クライスラー・オートモビルズの傘下に置かれています。コーポレートマークはMASERATIで、ブランドシンボルは発祥の地であるボローニャのマジョーレ広場にあるネプチューン(海の神)像が持つ、三又の槍トライデントがモチーフとなっています。

マセラティSpAの概要(2016年度)

  • 本社所在地:イタリア共和国エミリア=ロマーニャ州モデナ
  • 設立:1914年12月1日
  • 設立時の名称:ソシエータ・アノニーマ・オフィチーネ・アルフィエーリ・マセラティ
  • 代表者:セルジオ・マルキオンヌ(会長)、リード・ビッグランド(CEO)
  • 売上高:34億7,900万ユーロ
  • 営業利益:3億3,900万ユーロ
  • 従業員数:1,100人(※2013年)
  • 販売台数:42,100台(内、日本1,429台)

事業内容は高級車の製造・販売で、日本における輸入販売は日本法人マセラティジャパンにより行われています。

マセラティの沿革

1910年代~1930年代:チューニング・ショップからレーシングカー・メーカーへ

1914年、マセラティ家の4男であったアルフィエーリは、ボローニャに自動車のチューニングを事業目的とするワークショップ付きガレージ、ソシエータ・アノニーマ・オフィチーネ・アルフィエーリ・マセラティを設立、程なく2人の弟エットーレとエルネストが加わりました。しかし、第一次世界大戦の影響で事業の継続が困難となったことから、翌1915年に航空機用スパークプラグの設計・製造を事業目的とするトゥルッコ&マセラティ社を設立しました。

そして1918年に戦争が終結すると、自動車のチューニング事業を再開、1920年にイソッタ・フラスキーニ社製モデルをベースとしたレーシングカーを完成させました。次いで1922年、その目覚ましい活躍に目をつけた自動車メーカー、ディアット社の依頼により、同社製モデルをベースとしたレーシングカーを完成させました。さらに1925年には、同じくディアット社の依頼による完全オリジナル設計のレーシングカー「ディアット30Sport chassi」を完成させました。

しかし、経営難に陥っていたディアットは同年レース活動を中止しました。マセラティ兄弟は、支持者からの財政支援により活躍の場を失ったこのマシンを10台購入し、マセラティの名を与えました。次いで1926年、それをベースとした1.5L直8DOHCスーパーチャージド・エンジン(最高出力120ps)搭載のF1マシン「ティーポ26」を完成させるとともに、社名をオフィチーネ・アルフィエーリ・マセラティに改称しました。

ティーポ26はグランプリ・レースにおいて好成績を収め、程なくこのモデルの販売も手掛けるようになりました。その後1931年に、1.1L直4DOHCスーパーチャージド・エンジン(最高出力115ps)を搭載する新型市販レーシングマシン「ティーポ4CTR1100」が発売され、プライベート・レーサーの間で人気を博しました。そして翌1932年3月に、アルフィエーリ・マセラティが死去しました。

その後1936年に、経営難によりグランプリ・レースから撤退した一方で、空力ボディに1.5L直6DOHCスーパーチャージド・エンジン(最高出力155ps)を搭載する市販レーシングマシン「6CM1500」を発売しました。追って翌1937年に株式を事業家のアドルフ・オルシに売却、その管理下でレーシングマシンの開発に専念することとなりました。

1940年代~1950年代:ロードカー・メーカーに転向

その後、1941年にイタリアが第二次世界大戦に参戦するとレース活動は中止され、マセラティ社は軍需産業への転向を余儀なくされました。そして戦争が終結してから2年後の1947年、マセラティ兄弟はオルシとの確執によりマセラティ社を退職、レーシングカー・メーカーのOSCA社を設立しました。一方マセラティ社は、同年開催されたジュネーブ・ショーにおいて、オルシの念願であった市販グランツーリスモ「A6-1500」を発表しました。

ピニンファリーナのデザインによるクーペボディは、全長4,100mm×全幅1,580mm×全高1,350mmのディメンションを持ち、エンジンはフロントに1.5L直6SOHC(最高出力65ps)が搭載されました。続いて1951年、レーシングカー「A6GCS」をベースとした市販2シーター・スポーツカー「A6G」が発表されました。ピニンファリーナをはじめとするカロッツェリアにより架装されたボディに、2L直6SOHCエンジン(最高出力100ps)を搭載するモデルでした。

その後、レース事業への莫大なる投資とロードカーの販売不振により経営状態が悪化したことから、1957年にレース活動が中止されました。一方、同年のジュネーブ・ショーにおいて、2+2シーター仕様の新型グランツーリスモ「3500GT」が発表されました。チューブラー・フレームに架装されるボディはカロッツェリア・ツーリング製で、ディメンションは全長4,780mm×全幅1,760mm×全高1,300mmという堂々たるものでした。

フロントに搭載されたエンジンは、レーシングカー「350S」用をベースにディチューンを図った3.5L直6DOHC(最高出力220ps/最大トルク35kgm)で、最高速度は230km/hに達しました。3500GTは、僅かな生産に留まっていたそれまでの同社製ロードカーと比較して好調なセールスを記録、経営状況の改善に貢献しました。

さらに1959年のトリノ・ショーにおいて、5L V8DOHCエンジン(最高出力325ps/最大トルク45kgm)を搭載、最高速度270km/hの性能を持つ上級モデル「5000GT」が発表されました。

1960年代:経営状態悪化によりシトロエン傘下に

次いで1963年のトリノ・ショーで、マセラティ初の4ドアセダンとなる「クワトロポルテ」が発表されました。全長5,000mm×全幅1,720mm×全高1,360mmの大柄なモノコック・ボディに4.1L V8DOHCエンジン(最高出力260ps/最大トルク40kgm)を搭載、最高速度230km/hの性能を発揮しました。また、リア・サスペンションにそれまでのリジッド・リーフ式に代わり、高度なド・ディオン・アクスル式が採用されたことも特徴でした。

続いて1966年に開催されたトリノ・ショーでは、5000GTの後を継ぐ2台の高級スポーツカーが発表されました。ひとつは2+2シーター仕様の「メキシコ」、もうひとつは2シーター仕様の「ギブリ」でした。ヴィニャーレのデザインによる前者はコンサバティブなノッチバック・スタイルが採用された一方、ジウジアーロのデザインによる後者は、ファストバックの流麗なフォルムに加えマセラティ初のリトラクタブルヘッドランプが採用されました。

駆動方式はともにFRで、エンジンも同じく4.7L V8DOHCが搭載されたものの、チューニングの相違により最高出力はメキシコが290ps、ギブリが330psとなっていました。この2車種のうちギブリは商業的に成功作となったものの、経営状況は悪化していったため、その打開策として1968年にシトロエン社の傘下に入りました。

次いで1969年のジュネーブ・ショーにおいて、ギブリの2+2版といえる「インディ」が発表されました。デザインを手掛けたのはメキシコ同様のヴィニャーレながら、リトラクタブルヘッドランプの採用やファストバックのフォルムはギブリ譲りのものでした。エンジンは、メキシコ/ギブリによりも小排気量の4.2L V8DOHC(最高出力260ps)が搭載されました。

1970年代:デ・トマソ傘下で再生

続いて1971年のジュネーブ・ショーで、マセラティのロードカーとして初のミッドシップ・レイアウトを採用した2シーター・スポーツカー「ボーラ」が発表されました。ギブリに続きジウジアーロがデザインを手掛けたボディは、それよりも小振りな全長4,335mm×全幅1,768mm×全高1,134mmのディメンションを持っていました。

エンジンは4.7L V8DOHC(最高出力310ps)が搭載され、最高速度280km/hの性能を発揮しました。また、前後ともダブルウィッシュボーン式による4輪独立懸架サスペンションや、ラック&ピニオン式のステアリング、親会社シトロエンの技術を導入した油圧式4輪ベンチレーテッド・ディスクブレーキの採用も、同社製ロードカーとしては初のことでした。

追って1972年、パリ・サロンにおいてボーラの弟分ともいえる2+2シーター仕様のミッドシップ・スポーツカー「メラク」が発表されました。搭載されたエンジンは2.7L V6DOHC(最高出力190ps)で、メカニズム面ではシトロエン譲りの油圧システムをブレーキだけでなくパワーステアリングにも採用したことが特徴でした。

さらに1973年のジュネーブ・ショーにおいて、ギブリの後継モデルとなるFR方式の4シーター・グランツーリスモ「カムシン」が発表されました。ベルトーネのデザインによるウェッジシェイプのボディに、4.9L V8DOHCエンジン(最高出力280ps)と5速MTまたは3速トルコン式ATを搭載、MT仕様の最高速度は270km/hに達しました。

続いて1974年5月、業績が悪化していたシトロエン社を傘下に収めたプジョー社の決断により、シトロエン-マセラティ間の提携が解消されました。それにより経営危機に陥ったものの、翌1975年8月にかつてマセラティのレーシング・ドライバーとして活躍していたアレッサンドロ・デ・トマソ率いるデ・トマソ・グループの傘下に入り、危機を脱しました。

次いで1976年のジュネーブ・ショーにおいて、新体制下初のニューモデルとなる2+2シーター仕様グランツーリスモ「キャラミ」が発表されました。プラットフォームやボディシェルは、基本的に1972年にデビューした「デ・トマソ・ロンシャン」と共通であったものの、エンジンはロンシャンのフォード製V8に替えてマセラティ・オリジナルの4.1L V8DOHC(最高出力255ps)が搭載されました。

さらに同年秋には、ロンシャン/キャラミの基本コンポーネンツを流用した4ドアセダン「クワトロポルテⅢ」が発表されました。

1980年代:ビトゥルボが大ヒット

次いで1981年、新型4シーター・グランツーリスモ「ビトゥルボ」が発表されました。ボディタイプはノッチバックの2ドアクーペで、ディメンションは全長4,153mm×全幅1,714mm×全高1,305mmとコンパクトにまとめられていました。駆動方式はFRで、エンジンは市販車初のツイン・ターボ仕様となる2L V6SOHC(最高出力180ps)が搭載されました。

ビトゥルボはマセラティ史上最大のヒット作となり、1983年に4ドアセダンが、1984年にコンバーチブルの「スパイダー」が追加されるなどバリエーションの拡大も図られました。その後1988年のジュネーブ・ショーで、マセラティ久々の2シーター・スポーツカーとなる「カリフ」が発表されました。プラットフォームや基本メカニズムはビトゥルボ・スパイダーからの流用で、エンジンは2.8L V6SOHCツインターボ(最高出力285ps)が搭載されました。

1990年代:親会社がデ・トマソからフィアット、さらにフェラーリに

そして1993年、親会社がデ・トマソ社から全株式を買い取ったフィアット社に代わりました。さらに1997年には、フィアット・グループの一員であったフェラーリ社の傘下に置かれることとなり、劇的な品質向上が実現しました。次いで1998年のパリ・サロンにおいて、新体制下において全面的に新開発された初のモデルとなる、「3200GT」が発表されました。

ジウジアーロ率いるイタルデザインの手による2ドアクーペ・ボディは、全長4,510mm×全幅1,822mm×全高1,305mmのディメンションを持っていました。フロントに搭載されるパワートレインは、3.2L V8DOHCツインターボエンジン(最高出力370ps/最大トルク50kgm)と6速MTの組み合わせでした。

2000年代:限定スポーツカー、MC12コルサをリリース

次いで2001年のフランクフルト・ショーで、2シーター・オープンモデルの「スパイダー」が発表されました。電動ソフトトップが備わるボディは、全長が3200GTから200mmほど短縮されていました。ドライブトレインは、4.2L V8DOHC NAエンジン(最高出力390ps/最大トルク45.1kgm)と、6速MTまたはフェラーリと共同開発した6速セミAT「カンビオコルサ」を組み合わせたトランスアクスル・レイアウトが採用されました。

追って翌2002年のデトロイト・ショーでは、スパイダー譲りのメカニズムを採用した「クーペ」が発表されました。続いて2004年、マセラティ久々のミッドシップ・スポーツカーとなる限定モデル「MC12コルサ」が発表されました。全長5,143mm×全幅2,096mm×全高1,205mmのディメンションを持つタルガトップ・ボディは、カーボンモノコック構造採用により1,335kgという軽量に抑えられていました。

パワートレインは6L V12DOHCエンジン(最高出力630ps/最大トルク66.5kmg)と6速カンビオコルサの組み合わせで、最高速度330km/h・0-100km/h加速3.8sのパフォーマンスを発揮しました。続いて2005年、再びフィアット社の直轄管理下に置かれることとなりました。

2010年代:初のSUVレヴァンテをリリース

そして2010年代に入ると、同年4月に日本法人マセラティジャパンが設立されました。次いで2013年に、現行型となる6代目「クワトロポルテ」と3代目「ギブリ」がリリースされました。いずれもボディタイプは4ドアセダンで、駆動方式はFRのほか、後者にはフルタイム4WDも設定されました。続いて2016年、マセラティ初のSUVとなる「レヴァンテ」がリリースされました。

ボディサイズは全長5,003mm×全幅1,968mm×全高1,679mmという堂々たるもので、駆動方式は全車フルタイム4WD、エンジンは3L V6ガソリン・ツインターボと3L V6ディーゼル・ツインターボが用意されました。