大学を卒業して、地元山梨の企業に就職しました。昭和56年のことです。通勤するにあたり、車が必要になりました。東京のように電車やバスが整備されている訳ではありませんので、山梨では車での通勤がほとんどです。さて、どの車にするかと考えました。
新車購入ガイド:【2023最新】N-WGNの値引き 納期 乗り出し価格
塗装は痛み放題で緑の艶消しのように
近くの中古車販売店に行ったり、雑誌を眺めたりして予算に見合う車を探していました。自宅が近くにある顔見知りのおじさんが自動車販売店を経営しており、親の勧めもあって、販売店に相談に行ったのでした。そこで、我が愛車となるN360と出会ったのです。
その販売店は個人経営の小規模なお店で、展示されている中古車も10台程度でした。その一番隅に置かれていたのがN360でした。塗装は痛み放題で緑の艶消しのようになっており、「これって売り物ですか?」というレベルでした。おじさんに尋ねると「俺は元はホンダにいたから、直せば具合よくなる」と言われました。
その場で即決して、不具合の修理とボディの全塗装をお願いしました。色の見本を渡されて、色々と考えた結果は「黒」にしました。このホンダN360は、ミニのイメージがあって、もともと好きな車でしたが、当時でもほとんど中古車販売店の店頭に並ぶことはありませんでした。そういう経過でN360を手に入れたのです。
ホンダ N360のCM
Honda Collection Hall 収蔵車両走行ビデオ N360(1967年)
内装もボロボロで
年式は1969年だと思います。型式は、そのまんま「N360」です。値段は全塗装、修理込みで27万円でした。同期で入社した友人がリトラクタブルヘッドライトになったフェアレディZを買ったのですが、彼の車のカーコンポの方がN360よりも高かったのを覚えています。
外装は全塗装してもらったのですが、内装もボロボロでした。新聞紙で型紙を作り、シート屋さんにお願いして、車内のマットを作ってもらいました。これは当たりだったと思います。
ボンネットを開けると「まんまバイクのエンジン」があります。2本のエキパイもバイクそのもので面白かった。トランクはプラスチックでした。室内は広くて大人4人が無理なく座れました。でも4人で乗ると、スピードが出るまでは、スーパーカブにも抜かれていく感じでした。
冬はマニュアルのチョークを引いて
冬はマニュアルのチョークを引かないとエンジンは始動しないし、具合を見てチョークを戻さないとプラグをやられます。エンジンルームを通ってくる油臭い風は、会社に到着する頃に温まるような感じで、ヒーターの役目はしませんでした。
しかし、多くの弱点があってもN360はすべてにおいて魅力に溢れた車でした。空冷のエンジン音で力いっぱい走る姿には、すべてを許してしまいます。買い物で駐車場に停めると、管理人のおじさんが「古い車を綺麗に乗っているねえ」と褒められることも度々でした。
上り坂が続く国道で、気が付くと私の車を先頭に長蛇の列になっているような状況でも、後続車にクラクションを鳴らされたことはありませんでした。
販売店に置かせてもらっていたら…
3年ほどN360に乗った後に、兄から別の車を譲り受けることになりました。N360を手放すつもりはありませんでしたので、この車を買った販売店に保管場所を決めるまでの間、置かせてもらいました。
そうして、数日後に販売店のおじさんから「売れたよ」と電話が入りました。なんと、販売店のおじさんは勘違いして売って欲しいと思っていたのです。もう先方からお金も預かり、登録も済ませたとの話でした。
私とN360の予期せぬ別れは突然でした。その後、私と同年代の男性がN360を運転している所を見かけました。大切にしてくれているのが伝わってきて安心しました。車も保管されているよりも走り続けている方が幸せなのだろうなと思いました。