三菱自動車工業(当時は新三菱重工業)は1963年に開催された東京モーターショーにおいて、同車初の2L級高級4ドアセダン「デボネア」を発表、翌1964年に製造販売を開始しました。既に市場で成功を収めていた競合車種の「トヨペット・クラウン」や「日産・セドリック」が、その後定期的なフルモデルチェンジが行われたのとは対照的に、22年もの間に渡り基本設計に変更がないまま販売が続けられました。
アメリカ車風のスタイリング
エクステリアデザインは、かつて米国GM社に所属していたデザイナーに委託された事から、当時のアメリカ車を縮小したような雰囲気が備わっていました。殊に、両端にエッジを立てたボンネットフードやトランクフード、L字型のリアコンビネーションランプなど、国産車にはない独自のディテールが持ち味でした。
ボディサイズは全長4,670mm×全幅1,690mm×全高1,465mmで、同時代の2代目クラウンとほぼ同等でした。ホイールベースはそれより若干長い2,735mmで、車両重量はやや重く1,330kgでした。サスペンション形式はクラウンやセドリックと同様のフロント:ダブルウィッシュボーン式/リア:リジッド・リーフ式で、駆動方式も同じくFRを採用するなど手堅い設計が行われていました。
当初搭載されたエンジンは、2L直6OHVのKE64型(最高出力105ps/最大トルク16.5kgm)で、3速コラム式MTを介して最高速度155km/hの動力性能を発揮しました。又、ブレーキ4輪デュオサーボ式ドラムブレーキが採用されました。グレードはモノグレード設定で、エアコンの有無を選択する事が可能でした。
そして1965年5月に、ボルグワーナー製3速トルコン式ATが設定されると共に、パワーステアリングやパワーウィンドウ、フロント・パワーシートが装備される「パワー仕様」が追加されました。同時に、外観面では前後に備わっていたスリーダイヤのエンブレムが廃止されました。次いで1967年12月の一部改良で、インパネが衝撃吸収タイプに変更されました。
初代デボネアのCM
2度に渡りエンジンを置換
続いて1969年4月の一部改良でフロントブレーキがディスク化されると共に、ホイール&タイヤサイズが13インチから14インチに拡大されました。外観面では、リアサイドマーカーが廃止されました。次いで1970年9月のマイナーチェンジで、エンジンが2L直6SOHCの6G34型(最高出力130ps)に置換されると共に、車名が「デボネア・エグゼクティブ」に変更されました。
続いて1973年10月の2度目のマイナーチェンジでは、三角窓が廃止されると共にフロントウィンカーの位置変更やリアコンビネーションランプの意匠変更が実施されました。次いで1976年6月に3度目のマイナーチェンジが実施され、エンジンが昭和51年排出ガスに適合する2.6L直4SOHCのG54B型(最高出力120ps)に置換されると共に、車名が「デボネア・エグゼクティブSE」となりました。
同時にラジアルタイヤが標準装備され、MT車は廃止されました。その後は小規模な一部変更が行われたのみで1986年まで生産を継続、同年8月に発売から22年目にしてようやく2代目モデルにバトンタッチされました。初代デボネアは、個性的に過ぎるスタイリングや商品性の陳腐化などから一般ユーザーからの人気はなく、三菱グループの役員専用車としてのニーズが殆どでした。