ランボルギーニのミッドシップ・スーパーカー「イオタ」のオリジナルモデルは、FIAの競技規定付則J項のプロトタイプ車両規則に準じたマシンとして、1969年に量販モデル「ミウラP400S」をベースにワンオフで制作されました。正式に「J(イオタ)」と呼ばれるのはこの1台のみ(シャシーNo:4683)ですが、4683は1972年に売却されたあと程なくして高速道路でのテスト走行中にクラッシュ、車両火災により廃車となりました。
1971~72年に掛けて「ミウラP400SV」をベースとしたファクトリーレプリカ「ランボルギーニ ミウラ SVJ」が少数(7~10台)制作されました。日本国内でスーパーカーブームの時に実車が公開されたのは「ミウラ SVJ」で、固定式ヘッドランプやアルミフィラーキャップの採用などによりイオタJに類似した外観を持つ他、強化された足回りを備えていました。
ミウラから大幅に軽量化
Jの企画を立ち上げたのは、同年ランボルギーニ社を去ったミウラの設計者ジャンパオロ・ダラーラの意思を受け継いだテストドライバーのボブ・ウォレスでした。シャシーの設計はミウラとは別物で、ボディもフロアの他ルーフや前後のカウル、ドアがアルミ素材で制作されるなど、徹底した軽量化が図られていました。
サスペンションは、ミウラから4輪ダブルウィッシュボーン式の形式を踏襲しながらリファインが施され、ブレーキは4輪ベンチレーテッドディスク式にアップグレードされました。又、ディファレンシャルにはZF製のLSDが装備され、ホイールサイズはミウラP400Sの前後とも7J×15から前:9J×15/後12J×15へと大幅にワイド化されました。
スタイリングは基本的にミウラのプロポーションを受け継ぐものの、ヘッドランプがポップアップ式からガラスカバー付きの固定式に変更され、拡大されたフロントグリルの下部にはチンスポイラーが設けられました。その他、フロントフード上にアルミ製のフューエルフィラーキャップが新設され、リアフェンダーが拡大されるなど数々の変更が行われました。
更に、ボディパネルと骨格の接合に用いられた無数のリベットの存在もあり、両車は容易に識別する事が出来ました。車両重量は900kgで、ミウラP400Sから140kgもの軽量化を果たしていました。ホイールベースはミウラと同一の2,505mmで、トレッドはフロントがほぼ同一の1410mm、リアは130mm程拡大され1,540mmとなりました。一方、ボディの全長・全幅・全高は公表されませんでした。
ミウラ SVJ (#4990)のエンジン音
エンジンもパワーアップ
ミッドに搭載されるエンジンはミウラP400Sと同一形式の3.9L V12DOHCながら、圧縮比を10.4:1から11.5:1まで高めると同時に4連のウェーバーキャブレターを40IDLから46IDLに換装するなどの変更により、最高出力は370hp/7,700rpmから440hp/8,500rpmまで向上(最大トルクは未公表)、最高速度は300km/hに達すると発表されました。
ランボルギーニ イオタはミウラをベースとして開発されたレース用試作車として作られた1台である事や、すぐにオリジナルの一台が焼失してしまった事、後にイオタと同じように作成されたミウラSVJをイオタとして紹介していた事などから、最もミステリアスな幻のスーパーカーとなりました。