日産自動車は1960年4月、英国BMC社との契約によるライセンス生産を行っていた中型セダン「オースチン・A50ケンブリッジ」の後継車種となる、同社オリジナル設計の新型高級セダン「セドリック」を発売しました。同社として初めてフルモノコックボディを採用した他、スタイリングや装備面にも注力された力作モデルでした。
オリジナリティを備えたスタイリング
スタイリングは、アメリカ車のテイストを基本に縦型4灯式ヘッドランプやラップラウンドウィンドウといったオリジナリティが付加されるなど、当時の国産車としては斬新な雰囲気を備えたものでした。初期型のボディサイズは全長4,410mm×全幅1,680mm×全高1,510mmで、全長・全幅はA50ケンブリッジよりも二回り程大きい数値でした。
ホイールベースはほぼ同等の2,530mmで、車両重量は1,170~1,195kgでした。サスペンションはフロントがダブルウィッシュボーン/コイル式、リアがリジッド・リーフ式という当時の国産車としては一般的な形式でした。又、ブレーキはサーボアシスト付の4輪ドラム式が採用されました。
駆動方式はFRで、エンジンはまず1.5L直4OHVのG型(最高出力71ps/最大トルク11.5kgm)が搭載されました。トランスミッションはフルシンクロの4速コラム式MTで、最高速度130km/hの性能でした。室内は前後ともベンチシートの6人乗りで、クラッシュパッドで覆われたインパネやコーンタイプのステアリングホイールを採用するなど、当時としては安全性に配慮された仕様でした。
バリエーションを拡大
グレード体系は、当初廉価グレード「スタンダード」と上級グレード「デラックス」の2タイプがラインナップされました。追って同年11月、全長とホイールベースをそれぞれ100mm延長したボディに1.9L直4OHVのH型エンジン(最高出力88ps/最大トルク15.6kgm)を搭載し、助手席バニティミラー、リアシートピロー、後席用ヒーターなどが備わる「カスタム」が追加されました。
次いで翌1961年5月、1.5L車と共通のボディに1.9Lエンジンを搭載した「1900デラックス」が追加されました。追って同年9月のマイナーチェンジにより、フロントグリルの意匠とホイールアーチの形状が変更されました。続いて1962年4月、3列シート8人乗りのエステートワゴンと2列シート6人乗りのバンが追加されると共に、オートクラッチ仕様が設定されました。
更に同年10月の2度目のマイナーチェンジでは、ヘッドランプが横型4灯式に変更されると同時に、1.9Lエンジン搭載の廉価グレード「1900スタンダード」が追加されました。次いで1963年2月、全長を4,855mm、ホイールベースを2,835mmに延長した車体に、2.8L直6OHVのK型エンジン(最高出力115ps/最大トルク21kgm)を搭載する「スペシャル」が追加されました。
このスペシャルには、前後パワーシートやパワーウィンドウなどが装備される「パワー仕様車」も設定されました。次いで1963年9月、3度目のマイナーチェンジによりフロントグリルの意匠が変更されました。更に1964年に入ると、6月に2L直4OHVディーゼルのQGS31型エンジン(最高出力56ps/最大トルク13kgm)+3速MTを搭載する「ディーゼル」が追加されました。
追って7月に3速トルコン式AT仕様が設定され、9月には4度目のマイナーチェンジによりフロントグリルとリアコンビネーションランプの意匠が変更されました。そして翌1965年10月にフルモデルチェンジが実施され、2代目130型に移行しました。