1952年にコンペティションモデル「メルセデス・ベンツ300SL」を完成させ、参加したレースにおいて華々しい戦歴を残したダイムラー・ベンツは、そのキャリアを生かし戦後初のグランプリマシンとなる「W196」を完成させました。W196は1954-1955シーズンに行われたグランプリ15戦の内、12戦で優勝を飾るという圧倒的なパフォーマンスを発揮しました。
マグネシウムボディを採用
追ってそのW196にリファインを施した「メルセデス・ベンツ300SLR」が開発され、1955年5月のグランプリでデビューを果たしました。基本設計はW196譲りで、モデルナンバーが類似する300SLとの共通点はありませんでした。ボディ構造は、W196と同様のマルチチューブラーフレームに、マグネシウム製ボディが架装されました。
ボディタイプは、W196とは異なるデザインのオープンボディと、300SL同様にガルウイングドアが備わるクーペボディが製造されました。又、両ボディ共に助手席が設けられ、乗車定員はW196の1名に対し2名となりました。ボディサイズは全長4,350mm×全幅1,750mmで、300SLコンペティション仕様と比較すると全長が130mm長く、全幅は40mm狭いディメンションでした。
又、ホイールベースはそれより30mm短い2,370mmに設定されました。車両重量は830kgで、300SLコンペティション仕様の870kgよりも軽量でした。サスペンションは、形式は300SL同様のフロント:ダブルウィッシュボーン式/リア:スウィングアクスル式となる一方で、スプリングはそれと異なりコイル式ではなく、前後共にトーションバー式が採用されました。
公道走行可能なモデルでは当時の世界最速に
駆動方式はW196やSL300と同様FRで、エンジンはW196用の2.5L直8DOHCを3Lに拡大すると共に、アルミ合金製シリンダーブロックを採用したM196型が搭載されました。最高出力はW196の280ps/8,000rpmを20ps凌ぐ300ps/8,000rpmで、セカンド以上のギアにシンクロメッシュが備わる5速MTとの組み合わせにより、最高速度は290km/hに達しました。
この性能は、公道走行も可能なモデルとしては当時世界最速でした。又、こうしたパフォーマンス向上に対応する安定した制動力を実現する為に、4輪ドラム式を踏襲するブレーキには新たに大型の冷却フィンが設けられました。総生産台数は僅か9台と少なく、その内7/8号車の2台がクーペボディで、それ以外はオープンボディでした。
これらの内、レースに参戦したのは3~6号車の4台で、デビューシーズンに輝かしい戦歴を残しました。しかしその一方で、6号車がレース中の接触事故によりドライバー本人とギャラー71人が死亡する大参事を引き起こした影響もあり、ダイムラー・ベンツは同年限りでレース活動から手を引き、300SLRも活躍の場を失いました。