ロータスエンジニアリング社は、1962年のロンドンショーにおいて「エリート」の後を継ぐモデルとして、オープンボディを持つ2シータースポーツカー「エラン」を発表しました。軽量なボディとハイパフォーマンスなツインカムエンジンの組み合わせにより、優れた動力性能とハンドリングを備え、後の各国のライトウエイトスポーツカーに大きな影響を与えました。
リトラクタブルヘッドランプを採用
車体の基本構造は、X型バックボーンフレームにエリートと同様FRP製のボディを架装したものでした。サスペンションはフロントがダブルウィッシュボーン式、リアがストラット式と形式上はエリートと同一で、ブレーキはガーリング製の4輪ソリッドディスクブレーキが与えられました。スタイリングは、同社初のリトラクタブルヘッドランプを備えた流麗なものでした。
ボディサイズは全長3,683mm×全幅1,422mm×全高1,149mmで、エリートよりも若干小さく、ホイールベースは100mm以上短い2,134mmでした。車両重量は640kgでエリートよりは幾分重かったものの、それでも十分に軽量といえるものでした。駆動方式は歴代のロータス車同様FRで、エンジンは初期の「シリーズ1」では、フォード116E型1.5L直4ユニットをベースにしたロータス・ツインカムユニットが搭載されました。
スペックは最高出力100hp/5,500rpm・最大トルク14.9kgm/4,000rpmで、トランスミッションはフルシンクロメッシュ式4速MTが組み合わせられました。そして翌1963年5月に、ボアアップにより排気量を1.6Lに拡大し、最高出力を105hp/5,500rpmまで高めたバージョンが追加されました。次いで翌1964年10月にマイナーチェンジを実施し、「シリーズ2」に移行しました。
固定ルーフモデルを追加
エクステリア面ではテールランプが丸型4灯式から楕円形2灯式に変更され、インテリア面ではインパネが大型化されると共にウッドパネルが採用されました。又、エンジンが1.6Lに一本化された他、ブレーキキャリパーの大型化も図られました。そして翌1965年9月、固定ルーフと専用のスタイリングを持つフィクスドヘッドクーペ(以下F.H.C)が追加されました。
それに伴い、従来のオープンモデルはドロップヘッドクーペ(以下D.H.C)と呼ばれるようになりました。次いで1966年1月に、D.H.Cにエンジンの最高出力を115hp/6,000rpmまで高めた高性能版の「SE」が追加されました。続いて同年6月に2度目のマイナーチェンジが行われ、「シリーズ3」に移行しました。D.H.CのスタイリングがF.H.Cと共通になった事が最大の変更点でした。
2+2仕様を追加
次いで翌7月には、F.H.Cにも高性能版の「SE」が追加されました。そして1967年6月、オケージョナル用のリアシートを追加した「+2」が発売されました。ボディサイズは二回り程大きい全長4,270mm×全幅1,683mm×全高1,198mmで、ホイールベースは約300mm長い2,435mmに設定されました。それに伴い車両重量も大幅に増加し、835kgとなりました。
次いで1968年3月、2シーターモデルが3度目のマイナーチェンジにより「シリーズ4」となりました。エクステリアの一部が変更された他、タイヤサイズが145-13から155-13に拡大されました。更に同年10月には、「+2」に豪華な内装やフォグランプを付加した「+2S」が追加されました。そして1971年2月に、2シーターモデルに究極の高性能版となる「スプリント」が追加されました。
1.6Lツインカムユニットをビッグバルブ化し、スペックが最高出力128hp/6,500rpm・最大トルク15.6kgm/5,500rpmまで向上した他、トランスミッションが5速化されました。その後は大きな変更のないまま生産が継続され、2シーターモデルは1973年、+2は1975年に生産終了となりました。総生産台数はおよそ1万8千台で、僅か千台程の生産で終わったエリートを遥かに凌ぐヒット作となりました。