1982年に国産ミニバンの先駆け的存在として登場した日産自動車の「プレーリー」は、1988年9月に6年ぶりのフルモデルチェンジを受け2代目モデルに移行しました。当初ワンモーションフォルムを採用し大幅なイメージチェンジを図ると共に、ボディ構造がセンターピラー付きに変更されました。同時に、グレード体系の大幅に簡略化が行われました。
4WD車をフルタイム方式に変更
先代同様後席用スライドドアが備わる5ドアボディのサイズは、一回り大きい全長4,350mm×全幅1,690mm×全高1,625~1,650mmとなり、ホイールベースも85mm延長され2,595mmとなりました。駆動方式は先代同様FFがベースで、引き続き用意される4WDはパートタイム方式からフルタイム方式に変更されました。
サスペンション形式は先代と異なり、当初全車に4輪ストラット式が採用されました。エンジンは当初、先代4WD車からキャリオーバーされた2L直4SOHCのCA20S(最高出力91ps/最大トルク14.8kgm)のみが用意され、トランスミッションは5速MTと4速に多段化されたトルコン式ATが設定されました。当初のグレード体系は、先代の4系統から「M」系と「J」系の2系統に整理されました。
ラインナップはM系には5人乗りのM5-S/M5/M5アテーサと7人乗りのM7/M7アテーサが、J系には6人乗りのJ6/J6アテーサと7人乗りのJ7/J7アテーサ及び8人乗りのJ8がラインナップされました。そして1990年9月、北米仕様と同一の2.4L直4SOHCのKA24型エンジン(最高出力140ps/最大トルク20.2kgm)を搭載し、全長を55mm延長した「240」シリーズが追加されました。
日産 プレーリーのCM(1988)
ビッグM/Cでスタイリングやメカニズムを変更
ラインナップは、5人乗りの240Z G5/240Z G5アテーサと7人乗りの240Z G7/240Z G7アテーサの4タイプが用意されました。次いで1992年2月、240シリーズの最上級グレードとなる「240 G7アテーサシュプール」が追加されました。続いて1995年8月のビッグマイナーチェンジにより、車名が「プレーリージョイ」に変更されました。
この改良によりスタイリングがオーソドックスな2ボックス型に変更されると共に、リアサスペンションがFF車はトーションビーム式に、4WD車は5リンク式に変更されました。同時に、エンジンが2L直4DOHCのSR20DE型(最高出力145ps/最大トルク18.2kgm)に置換・一本化されました。
又、グレード体系も見直され、5人乗り/7人乗りのベースグレード「ジョイ」と7人乗りの上級グレード「ジョイL」の2タイプとなりました。次いで1996年9月に中間グレードとして7人乗りの「ジョイリミテッド」が追加され、翌1997年5月の一部改良で助手席SRSエアバッグシステムとABSが標準化されると共に、テールゲートにガラスハッチが採用されました。
同時に7人乗りの最上級グレード「ジョイX」が追加され、ジョイリミテッドは廃止されました。そして1998年11月、3代目となるM12型「プレーリーリバティ」にバトンタッチして生産終了となりました。
先代モデル:初代プレーリー
後継モデル:プレーリーリバティ