1980年3月、アウディNSUアウトウニオンAGはジュネーブ・ショーにおいて、「クワトロ・システム」と呼ばれる量販車世界初のフルタイム4WD方式を採用した2ドアスポーツクーペ「クワトロ」を発表しました。4WDといえばパートタイム方式が当たり前であった当時としては画期的なモデルで、その後の各自動車メーカーに多大な影響を与えました。
80からサスペンションを変更
ベースとなったのは小型セダンのB2系「アウディ・80」で、まさしく80のクーペ版といえる直線基調のボディには前後のスポイラーやブリスターフェンダーが備わり、戦闘的な雰囲気が醸されました。このボディは、追って同年10月に発売された「アウディ・クーペ」にも外装を一部変更した上で流用されました。
ボディサイズは全長4,404mm×全幅1,722mm×全高1,346mmで、80よりも21mm長く40mmワイドで、かつ19mm低いディメンションでした。ホイールベースは2,524mmで、80より54mm長く設定されました。又、車両重量は初期型で1,290kgでした。サスペンション形式は、フロントはストラット式が踏襲された一方(但し設計は異なる)、リアはトレーリングアーム式からストラット式に変更されました。
インタークーラー付ターボエンジンを搭載
エンジンは当初、フラッグシップセダン「アウディ・200」用の2.1L直4SOHC10Vターボにインタークーラーが装着されたユニットが搭載されました。アウトプットは最高出力が30ps増しの200ps、最大トルクが2.1kgm増しの29.1kgmまで高められ、5速MTを介して最高速度220km/h・0-100km/h加速7.1sの動力性能を発揮しました。
又、ブレーキ形式はフロントがソリッドディスク式からベンチレーテッドディスク式に、リアがドラム式からソリッドディスク式に変更され、動力性能向上に見合ったストッピングパワーが与えられました。一方、日本にも導入されたものの、世界一厳しい排出ガスへの対応によりアウトプットは最高出力160ps/最大トルク23.5kgmへと大幅なドロップを余儀なくされました。
そして1983年のマイナーチェンジによりシリーズ2となり、角型4灯式だったヘッドランプが一体型の角型2灯式に改められるなどの変更が行われました。又、同じ年に北米市場への輸出が開始されました。北米向けモデルはフェイスリフト前のシリーズ1で、北米基準の排出ガス規制への対応により最高出力は172psとなっていました。
次いで1985年、欧州仕様モデルに2度目のマイナーチェンジが実施された一方で、翌1986年に北米での販売は終了となりました。その後欧州仕様は1987年にエンジンが2.2Lに拡大され、200psの最高出力は不変ながら低速トルクがアップ、パフォーマンスも最高速度222km/h・0-100km/h加速6.7sに向上しました。続いて1988年、3度目のマイナーチェンジにより内装が変更されました。
更に翌1989年には、エンジンがツインカム化され最高出力が220psにアップ、最高速度も230km/hに向上しました。そして1990年に事実上の後継車種となる「アウディ・クーペS2」がデビューした為、翌1991年に生産終了となりました。