「フィアット126」は、イタリア国内でベストセラーカーだった「フィアット500(ヌオーヴァ・チンクエチェント)」の後継モデルとして、1972年に発売されました。エクステリアは、500の丸みを帯びた愛嬌溢れるスタイリングから一転し、直線を基調とした角ばったスタイリングへと大きく変貌しました。
今でもファンの多いフィアット500
ボディ・サイズは、フィアット500から僅かに拡大されたものの、全長3,054mm×全幅1,378mm×全高1,302mmと依然としてコンパクトで、当時の日本の軽自動車よりも僅かに大きい程度に過ぎませんでした。
車両重量は、ボディ拡大や装備の充実に伴い500の最終型よりも60kg重くなり、580kgとなりました。一方、インテリアも、500とは大きく様変わりしました。エクステリア同様に直線を基調としたデザインのダッシュボードは、プラスチックのパッドで覆われ、鉄板剥き出しだった500と比較すると豪華なものになりました。
又、ステアリングホイールやスイッチ類のデザインもモダンになるなど、時代に見合った変更が行われていました。そして、ボディの拡大及びデザイン変更に伴い、居住性も改善され、特に後席の実用性は大きく向上しました。
更に、燃料タンクの位置をそれまでのフロント・ボンネット内から後席下に移動した為、ボンネット内にはある程度のラゲッジスペースが出現しました。エンジンは、基本的に500用の空冷直列2気筒OHVユニットを踏襲しましたが、エンジンの排気量は100cc拡大され、600ccとなりました。
トランスミッションは500の流用
そのスペックは、最高出力23馬力、最大トルク4.0kgmというもので、500よりは向上していたものの、依然としてミニマムな性能に留まりました。トランスミッションも500用の流用で、ローギアは相変わらずノンシンクロのままであるなど、前近代的とも言える仕様でした。
駆動方式は、これも500と同様のRR方式を踏襲していました。本来は、全面的に500に取って代わるべくして登場した126でしたが、価格面のメリットなどから500の人気は根強く、販売継続を望む声に応える形で、1977年まで両車は併売される事となります。
そして、500が生産終了となった僅か3年後の1980年には、イタリア本国での126の生産は終了となってしまいます。その後も、ポーランドの工場で2000年までライセンス生産が続けられましたが、イタリア本国製モデルに関しては8年間生産されたに過ぎず、20年に渡り本国での生産が続けられた500とは対照的でした。
それから、500の場合アバルトをはじめとして様々なチューニングモデルが生まれましたが、126はそのようなモデルは存在せず、そうした意味でも地味な存在でした。
結局、モデルチェンジとしては保守的に過ぎ、500と比べて自動車としての完成度や魅力度が大幅に向上していなかった点が、短命に繋がった要因と言えます。