フィアット初の2シーターミッドシップスポーツカー「X1/9」は、1972年秋に発表され、翌1973年に発売が開始されました。それまでの同社の小型2シータースポーツカー「850スパイダー」と比較すると、遥かに近代的なスタイリングと基本レイアウトを備えていた他、敢えて高性能を追求せず扱い易さを優先したシビライズドスポーツカーであった点が特徴でした。
ガンディーニデザインの斬新なボディ
ボディは、Bピラーを備えるタルガトップ風コンバーチブルで、トップはデタッチャブル式が採用されました。デザイン・パッケージング開発はベルトーネにチーフデザイナーとして在籍していたマルチェロ・ガンディーニ(カウンタックやランチャ・ストラトスを手掛けた)の手によるもので、直線的なウェッジシェイプのボディラインとリトラクタブルヘッドランプ採用による低いノーズを持ち、シャープかつモダンな雰囲気を醸すものでした。
駆動方式は、当時の量販スポーツカーでは珍しかったMR方式を採用しながらも、フロントのボンネットとシート後部の2箇所にラゲッジスペースが設けられるなど、十分な実用性が確保されていました。サスペンション形式は、オーソドックスな4輪マクファーソンストラット式で、ブレーキは4輪ディスク式が採用されました。
ボディサイズは全長3,900mm×全幅1,570mm×全高1,170mmで、同時代のライトウエイトスポーツカーの代表的存在だった「MG・ミジェット」と比べると全高を除き一回り大きかったものの、絶対的にはコンパクトなサイズでした。一方、車両重量は880kg(日本仕様は890kg)あり、ボディサイズの割には比較的重い部類でした。又、ホイールベースは2,202mmでした。
エンジンは控えめなスペック
エンジンは、初期の「1300」には1.3L直4SOHCシングルキャブ仕様が搭載され、最高出力と最大トルクは欧州仕様が75ps/9.9kgm、日本仕様は昭和48年排出ガス規制に適合させた結果66ps/9.1kgmとなり、何れも控えめなスペックした。トランスミッションは4速MTが組み合わせられ、最高速度は欧州仕様が170km/h、日本仕様が160km/hでした。
1975年に、北米の保安基準に適合させるべく、5マイルバンパーと呼ばれる衝撃吸収バンパーが装備されました。それに伴い全長が70mm拡大され、車両重量は935kgに増加しました。翌1976年にマイナーチェンジが実施され、各国の排気ガス規制に対応した事によりエンジンのスペックが変わり、欧州仕様が73ps/10.3kgm、昭和51年排出ガス規制に対応した日本仕様が61ps/9.2kgmとなりました。
1978年には、エンジンが1.5Lに拡大されて「1500」となり、スペックが欧州仕様で85ps/12kgm、日本仕様で66ps/10.5kmgにアップしました。それに伴い、最高速度もそれぞれ180km/h、165km/hへと向上した他、トランスミッションが5速化された事もトピックでした。車両重量は、欧州仕様が920kg、日本仕様が980kgとなりました。
そして1981年に、米国向け仕様のエンジンがそれまでのシングルキャブレターに替えてL-ジェトロニック燃料噴射となり、日本にもその仕様をベースにしたモデルが導入されました。最高出力と最大トルクは75ps/10.5kgmで、従来の日本仕様よりも向上を果たしました。車両重量は更に増加し、1,000kgになりました。
ベルトーネブランドとなり、日本仕様の性能が向上
翌1982年に、ブランドがフィアットからベルトーネに替わり、車名が「ベルトーネ・X1/9」となりました。それと同時に、日本仕様は触媒のみで排出ガス規制をクリアする事が可能となり、エンジンが燃料噴射仕様から再びキャブレター仕様に戻されました。その結果、スペックは欧州仕様と同一の85ps/12kgmに向上しました。又、車両重量も欧州仕様と同一の920kgへと軽量化されました。
X1/9は、登場からモデル末期まで一貫してエンジン性能よりも足回りの性能が勝った性格で、誰にでも扱い易い乗り味を個性としていました。絶対的な速さの点では物足りなさは否めなかったものの、ミッドシップスポーツカーの裾野を広げたという意味において、大きな役割を果たしました。又、1985年に登場した「トヨタ・MR2」も、明らかにX1/9の影響を受けた設計でした。