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アウディの車種一覧(現行車種・過去車種)

アウディの現行車種一覧

A1 / A3スポーツバック/セダン / A4/A4アバント / A5/A5カブリオレA5スポーツバック / A6/アバント / A8 / Q3 / Q5 / R8/スパイダー / TT/ロードスター

アウディの過去販売車種

 

アウディの概要

ドイツの自動車メーカーであるアウディAGは、アウグスト・ホルヒ博士により設立されて以来100年以上を数える老舗ブランドであり、現在はフォルクスワーゲン・グループの傘下にあるとともに、自らも子会社を持ちアウディ・グループを形成しています。コーポレートマークはAudiで、ブランドシンボルは現体制の原型となったアウトウニオン(自動車連合)を構成するDKW、ヴァンダラー、アウディ、ホルヒの4社を表すフォーシルバーリングスが用いられています。

アウディAGの概要(2016年度)

  • 本社所在地:ドイツ連邦共和国バイエルン州インゴルシュタット
  • 設立:1910年
  • 設立時の名称:アウグスト・ホルヒ・アウトモービル・ヴェルケ
  • 代表者:ルパート・シュタートラー(取締役会長)
  • 資本金:34億5,100万ユーロ(※2009年現在)
  • 売上高(グループ全体):593億1,700万ユーロ
  • 営業利益(グループ全体):30億5,200万ユーロ
  • 従業員数(グループ全体):88,453人
  • 販売台数:アウディ・ブランドのみ 186万7,758台(内、日本28,718台)、グループ全体 208万8,187台

事業内容はアウディ単独では乗用車の製造・販売となるほか、スポーツカーを製造するランボルギーニと2輪車メーカーであるドゥカティを傘下に擁しています。生産拠点はドイツ国内のほか、ハンガリー、ベルギー、スペイン、スロバキア、ロシア、インド、インドネシア、中国、ブラジルに置かれています。日本における輸入販売は、アウディ100%出資子会社であるアウディジャパンにより行われています。

コーポレートビジョン(※英語版公式サイトより)

  • Vorsprung is our promise.
  • We inspire through individual,sustainable premium mobility.
  • Our premium vehicles are the foundation.

アウディの沿革

1880年代~1930年代:アウディの誕生

前述のアウトウニオンを形成する4社の中で、最も創業が早かったのは1885年に自転車の販売会社としてスタートを切ったヴァンダラー社でした。その後1911年に、同社初の4輪自動車「Typ W1プップヒェン5/12PS(水冷1.1L直4OHVエンジン搭載)が発表されました。一方、ホルヒ社はアウグスト・ホルヒにより1899年に設立され、翌年早くも最初の4輪自動車のプロトタイプを完成させました。

その後1904年に発売された「Typ18/22PS」(2.7L直4OHVエンジン搭載)は、先進的なメカニズムによりヨーロッパ中で名声を獲得しました。しかし、その後技術的な妥協を許さない気質のアウグスト・ホルヒは利益を重視する経営陣との対立を深め、1909年にホルヒ社を去り新会社アウグスト・ホルヒ・アウトモービル・ヴェルケを設立しました。

しかし、本家ホルヒ社から、同社の正式名称であったアウグスト・ホルヒ&モトールワーゲン・ヴェルケと社名が似ているとの理由により告訴され、敗訴しました。それを受け、翌1910年にドイツ語で「聴く」を意味するホルヒのラテン語であるアウディを用いた、アウディ・アウトモビール・ヴェルケに改称されました。

そして同年、早くもアウディ・ブランドの第一号車となる「Typ B10/28PS」がリリースされました。エンジンは2.6L直4(最高出力28ps)で、ホルヒ自身の考案による吸気弁がOHV、排気弁がSVのFヘッドが採用されたことが技術的な特徴でした。その後、1914年に第一次世界大戦が勃発し、アウディは軍により接収され装甲車や武器の製造に集中することとなりました。

一方、アウトウニオンの中核的存在となったDKW(デーカーヴェー)は、1916年に設立され、当初は自転車用補助エンジンやモーターサイクルを製造していました。そして1918年に終戦を迎えると、アウディは戦前型乗用車の生産を再開、その後1922年に戦後初の新型車「Typ K14/50PS」(3.5L OHVエンジン搭載)が、さらに翌1923年には、アウディ初の6気筒にして初のSOHCを採用した4.7Lエンジン(最高出力70ps)を搭載する「Typ M18/70PS」が発表されました。

しかし、アウディは過大な設備投資が仇となって1925年に経営危機に陥り、1928年にDKWに吸収されました。追って翌1929年に発生した世界恐慌により、ドイツの自動車業界は経営不振にあえぐこととなりました。

1930年代~1940年代:アウトウニオンを設立
ここで取り上げた4社もその例外ではなかったため、1932年に生き残りをかけてアウトウニオンAGが形成されました。そして翌1933年に、アウトウニオン初の市販車となる「アウディ・フロントTyp UW」(2L直6エンジン搭載)が発表されました。同車は、FF方式や4速トランスミッション、4輪独立懸架の採用など、当時としては革新的なモデルでした。

その後、DKWは大衆車とモータサイクル、ホルヒは高級車、ヴァンダラーはDKWとアウディの中間クラスと、カテゴリーを棲み分けながら新型車が次々とリリースされました。しかし、1939年に第二次世界大戦が勃発すると、軍用車の生産に注力せざるを得ない状況となりました。そして1945年5月の終戦によりドイツが東西に分断されると、西側に生産拠点を持たなかったアウトウニオンは生産再開の目途が立たなくなりました。

しかし1948年になると、戦前に生産された木製ボディ採用DKW車の保守を事業目的とするアウトウニオンGmbHを設立、曲がりなりにも自動車事業が再開されました。

1950年代:DKW・ブランドより戦後初の新型車が登場

その後乗用車の生産を再開する準備が整えられ、1950年に戦後初の新型車となる「DKW・マイスタークラッセ」が発表されました。丸みを帯びたフォルムを持つボディのディメンションは全長4,200mm×全幅1,600mm×全高1,450mmで、エンジンは水冷2ストローク2気筒684cc(最高出力23ps)が搭載されました。

続いて1954年、2ストローク3気筒896ccエンジン(最高出力38ps)を搭載するクロスカントリー型4WD車「DKW・ムンガ」が発表され、主にドイツ軍に納入されました。その後、1958年にダイムラー・ベンツ社が株式の88%を買収し事実上の親会社となったほか、モーターサイクル部門が売却されました。

次いで1959年、2ストローク3気筒741ccエンジン(最高出力23ps)を搭載するFF大衆車「DKW・ジュニア」が発表されました。モダンなスタイリングやフルシンクロミッション+等速ジョイントなどの斬新なメカニズムが持ち味で、ベストセラーカーとなりました。

1960年代:フォルクスワーゲン傘下でアウディ・ブランドが復活

そして1964年12月、ダイムラー・ベンツの持ち株を買収したフォルクスワーゲン社の傘下に入りました。次いで翌1965年に、前年デビューした2ストロークエンジン搭載の小型車「DKW・F102」のボディに、ダイムラー・ベンツ製4ストローク1.7L直4OHVエンジン(最高出力72ps/最大トルク13kgm)を搭載した「アウディ・72PS」が発表されました。

同車は低廉な価格により大ヒット、追って「80」「スーパー90」などのバリエーションが追加されました。その後、1968年に上級モデルの「アウディ・100」が発表されました。ボディサイズは全長4,590mm×全幅1,729mm×全高1,421mmと一回り大きく、エンジンは1.8L直4OHV(最高出力80ps/最大トルク13.8kgm)が搭載されました。この100も成功作となり、アウディ・ブランドのイメージアップに大きく貢献しました。

次いで1969年にNSU(エヌエスウー・モトーレンベルケ・ネッカースルム)社を併合、同時に社名がアウディNSUアウトウニオンAGに改称されました。

1970年代:アウディ・80が大ヒット

そして1970年代に入ると、1972年に新型「アウディ・80」が発表されました。同じ車名を持つかつてのモデルから全面的に刷新されており、クリーンなスタイリングや優れたトータルバランスにより大ヒットするとともに、同年度のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーに輝きました。次いで1976年にアウディ・100がフルモデルチェンジを受け、2代目モデルに移行しました。

FFのドライブトレインや3ボックス型セダンボディなどが踏襲された一方、新たに5気筒エンジン(2.1L SOHC)が設定されたことがトピックとなりました。続いて1978年にはアウディ・80にフルモデルチェンジが実施されるとともに、アウディ初のターボエンジン(2.1L直5・最高出力170ps/最大トルク27kgm)が設定されました。

1980年代:画期的なフルタイム4WD方式を導入

そして1980年、画期的な4WDモデル「アウディ・クワトロ」が発表されました。それまで市場に存在した4WD車はすべてパートタイム方式で、コンセプトも悪路走破性を追求したものであったのに対し、クワトロはフルタイム方式を採用するとともに、舗装道路での走行性能が追求されたことが特徴でした。

ボディは、アウディ・80をベースにエアロパーツやブリスターフェンダーを追加した2ドアクーペで、エンジンは2.1L直5インタークーラー・ターボ(最高出力200ps/最大トルク29.1kgm)が搭載されました。クワトロはWRCでも輝かしい戦歴を残すなど、自動車業界にセンセーションを巻き起こしました。

次いで1982年、アウディ・100に2度目のフルモデルチェンジが実施され、3代目に移行しました。最大の特徴はフラッシュサーフェス・ボディの採用で、Cd値はセダンとして驚異的な0.3を実現していました。一方、クワトロに採用されたフルタイム4WDシステムは、80、200、100などに順次設定されていきました。続いて1985年、社名が現在と同じアウディAGに改称されました。

次いで1988年、フラッグシップセダン「アウディ・V8」が発表されました。全長4,874mm×全幅1,814mm×全高1,420mm、ホイールベース2,702mmという堂々たる体躯を持つボディに、文字通りV型8気筒の3.6L DOHCエンジン(最高出力250ps/最大トルク34.7kgm)が搭載されました。駆動方式は、センターデフを電子制御マルチプレート・クラッチ付きプラネタリー・ギア式に改めたクワトロ・システムが採用されました。

1990年代:アルミボディ採用車をリリース

そして1990年代に入ると、1991年に戦後のアウディとして初のオープンモデルとなる4シーター・カブリオレ「アウディ・カブリオレ」が発表されました。次いで1993年、アウディの子会社クワトロGmbHが手掛けるスポーツワゴン「アウディ・RS2」がリリースされました。全長4,510mm×全幅1,695mm×全高1,386mmのボディに、ポルシェの開発による2.2Lターボエンジン(最高出力315ps/最大トルク41.8kgm)が搭載され、最高速度262km/h・0-100km/h加速5.4sの性能を発揮しました。

追って翌1994年、アウディ・V8に代わる新型フラッグシップセダン「アウディ・A8」が発表されました。最大の特徴はアルミ素材を用いたボディ構造、ASF(アウディ・スペース・フレーム)の採用で、V8よりも一回り大きい全長5,035mm×全幅1,880mm×全高1,435mmというディメンションから想像するよりもはるかに軽い1,800kg台の車両重量を実現していました。

続いて翌1995年にアウディ・80の後継モデルとなる「アウディ・A4」が、さらに1997年にはその弟分となるコンパクトカー「アウディ・A3」が発表されました。次いで1998年、斬新なスタイリングを持つ2+2シーター仕様の2ドアスポーツクーペ「TT」が発表されました。ボディサイズは全長4,060mm×全幅1,765mm×全高1,340mmとコンパクトで、駆動方式は当初クワトロ・システムのみの設定でした。

パワートレインは、1.8L直4DOHCターボ(最高出力180ps/最大トルク24kgm)と6速MTの組み合わせが採用され、最高速度228km/h・0-100km/h加速7.5sのパフォーマンスを発揮しました。続いて1999年には、A3よりもさらに小型の5ドアハッチバック車「アウディ・A2」が発売されました。単なるエントリーモデルではなく、A8譲りのASF構造を採用した画期的なモデルでした。

また、イタリアのランボルギーニ社を傘下に収めたのもこの年のことでした。

2000年代:初のミッドシップスポーツカーR8を発表

次いで2000年、2代目「アウディ・A6アバント」をベースに、ロードクリアランスを4段階に調整できるエアサスペンションを採用するとともに、2.7L V6ツインターボエンジン(最高出力250ps/最大トル35.7kgm)を搭載し、悪路走破性と高速性能を両立させた「アウディ・オールロードクワトロ」が発表されました。

続いて2005年、アウディ初のクロスオーバーSUVとなる「アウディ・Q7」が発表されました。全長5,086mm×全幅1,986mm×全高1,737mmというラージサイズのプレミアムモデルで、ドライブトレインには前後駆動力配分を従来の50:50から40:60に変更した新世代のクワトロ・システムが採用されました。

次いで2007年、アウディ初のミッドシップレイアウトを採用したスーパースポーツ「アウディ・R8」が発表されました。全長4,435mm×全幅1,905mm×全高1,250mmのディメンションを持つボディには、ASF構造が採用されました。ドライブトレインは、4.2L V8FSIエンジン(最高出力420ps/最大トル43.8kgm)と6速AMT「Rトロニック」、そしてクワトロ・システムの組み合わせが採用されました。

そのパフォーマンスは、歴代のアウディ市販車で最速の最高速度301km/h・0-100km/h加速4.6sを誇りました。

2010年代:排出ガス不正問題が発覚

次いで2012年、イタリアのドゥカティ社を傘下に収めました。そして2015年9月、親会社フォルクスワーゲンのディーゼルエンジン搭載車の一部が排出ガスの規制値を大幅に超過していたことが発覚、ほぼ同時にアウディにも同様の不正車両が存在することが発覚しました。対象となるアウディ車は、全世界でおよそ210万台にのぼると発表されました。

しかし、販売面でのダメージはなく、翌2016年の世界販売台数は過去最高を記録しました。その後2017年6月に、一部車種に新たな排出ガス不正の疑いがあると指摘され、再び対応に追われることとなりました。