トヨタ自動車は1947年、国産乗用車として戦後初のニューモデルとなる「SA型乗用車」を発売しました。シャシーや足回りなどに先進的な構造・機構が採用されたほか、流行の先端をいくエクステリア・デザインが採用されるなど、意欲作に仕上げられていました。しかし、品質の不良や性能面での問題などにより商業的には失敗し、5年間での生産台数はわずか215台に留まりました。
4輪独立懸架を採用
シャシーは、従来の「AA型乗用車」などに用いられたラダーフレームに代わり、より軽量な鋼板Y型バックボーンフレームが採用されました。また、サスペンション形式も国産車で一般的だった4輪リジッド・アクスル式ではなく、フロント:ダブルウィッシュボーン/コイル式・リア:スイングアクスル/横置きリーフ式による4輪独立懸架が採用されました。
しかし、当時の日本は未舗装の悪路が多く、耐久性に問題が生じ不評を買いました。ボディはオールスチール製で、ボディタイプは後ろヒンジ式のドアが備わる2ドアセダンでした。エクステリア・デザインは、「フォルクスワーゲン・タイプⅠ(ビートル)」を彷彿とさせる卵型の流線形フォルムが特徴でした。また、それと同様に張り出した前後フェンダーを備えていました。
ボディ・ディメンションは全長3,800mm×全幅1,600mm×全高1,530mm、ホイールベース2,400mmで、フォルクスワーゲン・タイプⅠと比較すると全長が短くホイールベースは同一、全幅・全高は若干大きいディメンションでした。車両重量は1,170kgで、フォルクスワーゲン・タイプⅠとの比較では300kgほど重いものでした。
新開発のエンジンを搭載
駆動方式はコンベンショナルなFRが採用され、フロントに搭載されるエンジンは新開発された水冷1L直4SV(サイドバルブ)のS型(最高出力27ps/4,000rpm・最大トルク5.9kgm/2,400rpm)が採用されました。このスペックは、フォルクスワーゲン・タイプⅠに搭載された空冷1.1Lフラット4OHVと比較して遜色はなかったものの、車両重量が重かったため相対的に非力さが否めませんでした。
このエンジンに組み合わせられたトランスミッションは、2~3速がシンクロ式の3速MTで、「リモートコントロール式」と呼ばれる国産車初のコラム式となっていました。最高速度は85km/hで、100km/hを超える巡行速度を誇るフォルクスワーゲン・タイプⅠには及びませんでした。一方室内は4人乗りで、インパネにはラジオ(真空管式)が備わっていました。
その後マイナーチェンジやバリエーションの拡充などは行われず、1952年にひっそりとラインナップから姿を消しました。翌1953年9月に新型乗用車「トヨペット・スーパー」が発売されたものの、SA型の後継車としての位置付けではありませんでした。