日産のスペシャリティカー「シルビア」の2代目モデルは、初代モデルが生産終了となってから7年を経た1975年の10月に発売されました。直線的なスタイリングだった初代モデルとは一転し、北米市場受けを狙った曲線的なスタイリングに変貌した事が特徴でした。しかし、メカニズムや性能面は凡庸で、国内販売は振るいませんでした。しかし、その背景にはオイルショックを発端とする悲運がありました。
個性的なボディと汎用型のシャシー
スタイリングは、当時の日産製2ドアクーペやハードトップによく見られた曲線を多用したファストバックスタイルで、太いリアクォーターピラーと丸目2灯式のヘッドランプがデザイン上のアクセントとなっていました。又、先代はセンターピラーを備えるクーペであったのに対し、ピラーレスのハードトップボディとなった他、後席が設けられ乗車定員が5人になった事が相違点でした。
ボディサイズは全長4,135mm×全幅1,600mm×全高1,300mmで、先代よりも一回り大きくなった他、安全対策の為ボディ強度の確保にも力が入れられました。しかし、ラダーフレームを使用した先代とは異なり、近代的なモノコック構造を採用した事により、車両重量は僅か10kg増加しただけの990kgに抑えられていました。プラットフォームは、3代目「サニー」のものが流用されました。
トレッドや2,340mmのホイールベースもサニーと同一であった為、それよりも一回り大きいボディに対しては下回りがややアンバランスで、外観上のネックポイントとなっていました。又、サスペンション形式もサニーと同様、フロントがマクファーソンストラット/コイル式、リアがリジッド/リーフ式でした。
ロータリーを断念し、既存のエンジンを搭載
当時、日産もロータリーエンジンの開発を進めており、500cc x 2ローターで120馬力のロータリーエンジンを積んだサニーを1972年のモーターショーに出品しました。しかし、翌1973年に起きたオイルショックを受け、シルビアへの搭載は見送られたとされています。もし、オイルショックがなかったら、また、数年ずれていたら、ロータリーエンジンを取り巻くこれまでの歴史は大きく変わっていたかもしれません。
エンジンは、「ブルーバードU」などに搭載されていた1.8L直4SOHCのL18型で、最高出力105ps/6,000rpm、最大トルク15kgm/3,600rpmのスペックでした。トランスミッションは、4速/5速MTと3速トルコン式ATが用意され、駆動方式はFRでした。
1976年5月にマイナーチェンジを実施し、昭和51年度排出ガス規制に対応する為、エンジンがNAPS仕様燃料噴射式のL18E型に変更され、スペック上で最高出力が115ps/6,200rpm、最大トルクが16kgm/4,400rpmへと向上しました。翌1977年8月に一部改良が実施され、フェイスリフトと共に新グレード追加などが行われました。
2代目シルビアは、前述の通りシャシーの設計が凡庸であった上、本来なら最大のセールスポイントとなる筈であったロータリーエンジン搭載を見送った為、ニューモデルとしては新鮮味に欠けるものとなってしまいました。唯一のアピールポイントであったスタイリングも、北米市場では特に女性ユーザーに好評であったものの、国内ではアクが強いと捉えられ不評で、販売は振るいませんでした。
先代モデル:初代シルビア
後継モデル:3代目シルビア