1919年にロンドンに設立された自動車メーカー、ベントレー・モーターズは、1921年に同社初の量産モデルとなる「3リットル」を発売しました。その設計は、レーシングカーの「グランプリ・プジョー」および「グランプリ・メルセデス」の影響を強く受けており、当時としては先進的なメカニズムと高い性能を誇りました。
SOHC4バルブエンジンを搭載
車体は、プレススチール製のラダーフレームと4輪半楕円リーフ・リジッド式サスペンションの組み合わせという、当時として一般的な構造が採用されました。ボディの架装は、当時の恒例として「バンデン・プラス」をはじめとするコーチビルダーの手に委ねられました。ボディタイプは、「ツアラー」と呼ばれる4ドアコンバーチブルが主力であったものの、フィクスドヘッドの4ドアセダンも製造されました。
ボディサイズは全長4,343mm×全幅1,740mm、ホイールベースは3,048mmで、トレッドは前後とも1,422mmでした。また、車両重量はセダンの場合で1,778kgでした。駆動方式はコンベンショナルなFRで、エンジンは鋳鉄製のシリンダーとアルミニウム製のクランクケースを持つ水冷3L直4SOHC4バルブ・ツインプラグ・SUツインキャブレター仕様(最高出力71ps/3,500rpm)が搭載されました。
高性能版を追加
トランスミッションは、クローズドレシオとワイドレシオの2種類の4速MTが用意され、最高速度129km/hの動力性能を発揮しました。ブレーキは、当初はリアのみにしか備わらなかったものの、ハンドとフートの2系統となっていた点が特徴でした。その後1923年に、エンジンの圧縮比を4.3:1から5.3:1まで高め、最高出力を81psまで引き上げた高性能版「スピード」が追加されました。
それにともない最高速度が145km/hに向上したほか、動力性能に見合った制動力を確保するためフロントにもブレーキが装着されました。次いで1925年、圧縮比を5.6:1まで高め最高出力を86psとした「スーパースポーツ」が追加されました。さらに翌1926年には、このスーパースポーツ用エンジンの圧縮比が6:1まで高められ、最高出力は91psまで向上しました。
それにともない、最高速度は100マイルを超える161km/hに到達しました。それと同時に、スピードのエンジンがそれまでスーパースポーツに搭載されていた86ps仕様に置換されました。その後、1926年から1927年にかけ、より排気量の大きいエンジンを搭載する「4 1/2リットル」や「6 1/2リットル」が登場したことにともない、3リットルの生産は1929年をもって打ち切られました。
総生産台数は1622台で、そのうち513台がスピード、18台がスーパースポーツでした。