ホンダ「ビート」は、1991年5月、軽自動車としては初となる本格的2シータースポーツカーとして発売されました。駆動方式にミッドシップエンジン・リアドライブ(MR)方式を採用したのも、軽自動車としては前例のないものでした。当時は、スポーツカーに対する運輸省の風当たりが強かった為、確実に型式認可を取得する目的で「ミッドシップ・アミューズメント」を名乗っていました。ちなみに同じく軽自動車でミッドシップレイアウトを採用していたオートザム(マツダ)AZ-1は、1992年10月のデビューでした。
それまでの軽自動車は、スポーティカーは存在したものの、オープンボディを持つ本格的なスポーツカーが市販化された事はありませんでした。かつて、ホンダがモーターショーで「S360」を公開したものの、市販化された際にはボディと排気量を拡大した「S500」となった為、軽自動車初の市販スポーツカーは実現しませんでした。
車高の低さとロングホイールベースが特徴のボディ
しかし、時代がバブル期に差し掛かり、趣味性の高い車種に対する社会的なニーズが高まった事もあり、軽規格のミッドシップスポーツカーというニッチな商品であるビートの誕生に至りました。ビートのスタイリングは、MR方式らしく低いノーズを持ち、限られたサイズ内で精一杯伸びやかに見せる造形が施されていました。
ボディサイズは、全長と全幅は当時の軽自動車規格一杯の3,295mm×1,395mmで、全高はそれまでのどの軽自動車よりも低い1,175mmでした。ホイールベースは2,280mmで、当時の「ユーノス・ロードスター」よりも長く、タイヤを四隅に踏ん張ったような安定感のあるプロポーションを備えていました。
オープンボディのデザインは、タルガトップが採用された現在の「S660」と異なり、完全なフルオープンのコンバーチブルでした。屋根はソフトトップが採用され、手動により開閉する方式でした。又、エンジンルーム後方には小容量ながらトランクルームを備え、手荷物程度であれば収納が可能でした。車両重量は760kgで、当時の軽自動車としては重量級でした。
NAとしてはトップの性能
エンジンは、「トゥデイ」用のE07A型0.66L直3SOHC12バルブをベースに、「多連スロットル」の採用や「燃料噴射制御マップ切替方式」など様々な手が加えられ、NAユニットとして唯一自主規制枠一杯となる64ps/8,100rpmの最高出力と、これもNAではトップレベルの6.1kgm/7,000rpmの最大トルクを発生しました。
最高出力をトゥデイの58psから64psまで向上させたのは、他社のターボエンジン搭載のスポーティモデルへの対抗措置でしたが、結果としてNAモデルとしては優れた動力性能を実現したものの、低速トルクが細くピーキーな出力特性となりました。トランスミッションは、5速MTのみが用意されました。サスペンションは、前後マクファーソンストラット式による4輪独立懸架で、4輪ディスクブレーキが採用されていました。
インテリアは、バイクをモチーフにデザインされたメーターナセルと、ドライバーズシートがセンター側にオフセットして配置されている点が特徴でした。パワーアシストなしのステアリングには、オプションでSRSエアバッグシステムを装着する事が可能でした。
ファン・トゥ・ドライブながら、後半の販売は低迷
ドライビングフィールは、エンジンのフィーリングはかつての「S500/600/800」のような官能性に欠けたものの、MR方式らしい機敏なハンドリングを備えたファン・トゥ・ドライブなものでした。販売面では、発売当初こそ話題を集めそれなりに好調だったものの、バブル崩壊後は低迷し、1996年1月に後継モデルが登場しないまま生産を終了しました。
そして19年の時を経てS660へ
ホンダの軽オープンスポーツは長らく存在しませんでしたが、2015年、モーターショーで参考出品を繰り返していたホンダS660が発売となりました。実に19年ぶりとなります。