いすゞ自動車は1953年11月、新型乗用車「ヒルマンミンクス」を発売しました。英国の自動車メーカーであったルーツ・グループ製の小型車「ヒルマン・ミンクスMkⅥ」をノックダウン生産したもので、バス・トラック専門メーカーであったいすゞとして初の乗用車となりました。
ノックダウン生産されたのはサルーンのみ
ボディタイプは、ノックダウン生産が行われたのは4ドアセダンの「サルーン」(スタンダード/スーパーデラックス)のみであったものの、英国本国で生産されていた2ドアハードトップの「カリフォルニアン・クーペ」、2ドアコンバーチブルの「コンバーチブルクーペ」、3ドアステーションワゴンの「エステート」もカタログモデルとしてラインナップされました。
サルーンのエクステリア・デザインはオリジナルモデルと共通で、丸型2灯式ヘッドランプやメッキ加飾の大きなフロントグリルが備わっていました。サルーン初期型のボディ・ディメンションは、全長4,000mm×全幅1,575mm×全高1,524mm、ホイールベース2,362mmで、車両重量は956kgでした。
駆動方式はコンベンショナルなFRで、エンジンはオリジナルと共通の1.3L直4SV(サイドバルブ)ソレックス・シングルキャブレター仕様のGH10型(最高出力38ps/4,200rpm・最大トルク8.1kgm/2,200rpm)が搭載されました。トランスミッションは、ローのみノンシンクロ式の4速コラムMTが組み合わせられ、最高速度104km/hの性能を発揮しました。
サスペンションはフロントが独立懸架/コイル式、リアがリジッド・アクスル/リーフ式で、ステアリング形式はウォーム&ナット式でした。また、ブレーキは当時として一般的な4輪ドラム式で、タイヤは5.50-15サイズが装着されました。一方、室内は前後ともベンチシート仕様ながら、当初は4人乗りで、インパネはセンターメーター式となっていました。
マイナーチェンジでエンジンを置換
その後、1954年7月にマイナーチェンジが実施され、トランクルームが拡大されたほか、リアウィンドウ拡大による後方視界の改善が図られました。次いで1955年7月に2度目のマイナーチェンジが実施され、フロントグリルの意匠変更とともに乗車定員が5名となりました。同時に、エンジンが1.4L直4OHVゼニス・シングルキャブレター仕様のGH12型(最高出力43ps/4,000rpm・最大トルク9.2kgm/2,200rpm)に置換され、最高速度が123km/hに向上しました。
続いて1956年2月に最後のマイナーチェンジが実施され、ボディカラーが2トーン仕様に変更されました。そして同年9月にフルモデルチェンジが実施され、ヒルマン・ミンクスMkⅧのノックダウン生産版となる2代目ヒルマンミンクスにバトンタッチされました。
後継モデル:2代目ヒルマンミンクス