日産自動車は1959年8月、「ダットサン1000乗用車(210型)」の後継車種となる「ダットサン・ブルーバード」を発売しました。サスペンション形式が1000乗用車の4輪リジッド・リーフ式からフロントがダブルウィッシュボーン独立懸架式に変更され、操縦安定性や乗り心地が改善されました。優れたトータルバランスにより大ヒット作となり、同クラスの代表格的な存在となりました。
ラダーフレーム+セミモノコック構造を採用
車体構造はラダーフレームにセミモノコックボディを組み合わせたもので、ボディタイプは当初4ドアセダンのみが用意されました。スタイリングは1000乗用車譲りのコンサバティブなものながら、幾分スマートなフォルムに変化しました。ボディサイズは全長3,860mm×全幅1,496mm×全高1,480mmで、1000乗用車より全幅が30mm広く全高が55mm低いディメンションとなりました。
又、ホイールベースは60mm延長され2,280mmとなりました。駆動方式はFRを踏襲し、エンジンは当初1000乗用車からキャリオーバーされた1L直4OHVのC型(最高出力34ps)が採用され、程なくしてストロークアップにより排気量を1.2Lに拡大したE1型(最高出力43ps)が追加されました。トランスミッションは1000乗用車の4速MTから、3速MTに変更されました。
又、4輪ドラム式のブレーキには、国産車初のユニサーボが採用されました。室内は前後席共にベンチシート仕様で、乗車定員は当初4名だったものの、後にリアシート幅を40mm広げる改良により5名に変更されました。グレード体系は、当初「1000STD」「1200STD」「1200DX」の3タイプがラインナップされました。
ワゴンや女性向けグレードを追加
そして1960年7月に5ドアボディ採用の「エステートワゴン」が追加された後、同年10月のマイナーチェンジでエンジンのアウトプット向上が図られ、1Lは型式がC1型に変更され最高出力43psに、1.2Lは同一型式のまま最高出力55psとなりました。同時に、ローがノンシクロだったトランスミッションがフルシンクロ化されました。
次いで1961年2月に女性向けの内装を採用した新グレード「ファンシーDX」が追加され、同年8月の2度目のマイナーチェジではフロントグリルやテールランプ、メーターパネルの意匠が変更されました。続いて1962年9月に実施された3度目のマイナーチェンジにより、再度フロントグリルとテールランプの意匠が変更されました。
追って同年12月に前席セパレートシート仕様車が追加され、翌1963年にはAT車が追加されました。そして同年9月にフルモデルチェンジが実施され、2代目410型に移行しました。
後継モデル:2代目ダットサン ブルーバード