21世紀の今も日産を代表するスポーツカー「フェアレディZ」。フェアレディの歴史は1960年に発売された「ダットサン フェアレディ1200」から始まりました。しかし、その前年となる1959年、一台のスポーツカーが日産から発売されました。「ダットサン スポーツ1000」。既に販売中であった4ドアセダン「ダットサン1000」(210型)のラダーフレーム・シャシーに、FRP製の4座コンバーチブルボディを架装して作られたオープン・スポーツです。
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英国車風のモダンなスタイリング
スタイリングは、英国製スポーツカーの影響が感じられるロングノーズ・ショートデッキのプロポーションで、当時の国産車としては流麗かつスマートなものでした。1952年に発売された「ダットサン・スポーツDC-3」よりも、遥かにモダンで流麗なデザインに変貌していました。ボディサイズは、全長3,936mm×全幅1,472mm×全高1,407mmで、2,220mmのホイールベースはダットサン 1000と共通でした。
車両重量は、FRP製ボディのお陰でダットサン1000よりも160kgも軽い765kgに抑えられており、一回りコンパクトなボディであったスポーツDC-3とほぼ同等でした。サスペンション形式は、210型同様の4輪半楕円リーフ・リジッド式が踏襲されました。搭載されたエンジンは、これもダットサン 1000から流用した1L直4OHVのC型ユニットで、最高出力34ps/最大トルク6.59kgmのスペックでした。
駆動方式もダットサン1000同様にFRで、4速MTを介しての最高速度は、それよりも20km/h速い115km/hでした。スポーツ1000は、当初国内販売も計画された為右ハンドル仕様であったものの、実質的に北米専用モデルとなりました。
しかしながら、翌1960年までの生産台数は僅か20台(18台という説もある)に過ぎず、量販車と言うよりも試験的に制作・販売されたモデルという位置づけの方が正しいかもしれません。それもそのはずで、当時はクルマ自体が超高級品。乗用車の普及もこれからという時代のスポーツカーは、高嶺の花のそのまた上の存在でした。
同年となる1960年1月には「フェアレディ1200」が発表されました。ダットサン スポーツ1000という名称は1957年の発表から3年、発売からわずか1年にて幕を下ろしました。
先代モデル:2代目ダットサン スポーツ DC-3
後継モデル:ダットサン フェアレディ1200
歴代フェアレディZ