ランボルギーニは、それまでに販売してきたモデルよりも低廉な量販モデルとして、1970年のトリノショーでミッドシップスポーツカー「ウラッコ」を発表しました。「ポルシェ・911」のマーケットに割って入る事を目論み、同様の2+2シーターレイアウトが採用されました。しかし、設計上及び経営上の問題から市販化が遅れ、発売に漕ぎ着けたのは1973年に入ってからでした。
4輪ストラットサスペンションを採用
車体構造は、それまでのランボルギーニ車よりも先進的なモノコック構造で、サスペンション形式は伝統的に採用してきた4輪ダブルウィッシュボーン式ではなく、後席スペースを確保する為に4輪ストラット式が採用されました。又、ブレーキは4輪ベンチレーテッド型ディスクブレーキが奢られました。ボディのデザインを手掛けたのは、「ミウラ」や「エスパーダ」と同様ガンディーニでした。
スタイリングは、リトラクタブルヘッドランプの採用により低いノーズを実現すると共に、モダンでスマートなフォルムを備えていました。ボディサイズは、全長4,249mm×全幅1,760mm×全高1,115mmというコンパクトかつ背の低いディメンションで、ホイールベースはミウラよりも50mm短い2,450mmでした。又、車両重量も初期型の場合1,150kgと軽量に抑えられていました。
パワートレインのレイアウトはジアコーザ方式
パワートレインは、「ジアコーザ方式」と呼ばれる横置きレイアウトをミッドシップマウントで実現させる為に、新開発されたコンパクトな2.5L V8SOHCエンジンが搭載されました。「P250」と呼ばれた本国仕様のスペックは、最高出力220hp/7,500rpm・最大トルク23kgm/5,750rpmで、5速MTとの組み合わせにより最高速度は240km/hに達しました。
一方、北米仕様はサーマルリアクターやエアクリーナーの装備などにより排出ガス規制に対応した事で、エンジンのスペックが最高出力180hp/7,000rpm・最大トルク17.25kgm/5,500rpmにドロップしました。同時に前後に5マイルバンパーと呼ばれる衝撃吸収型バンパーが装備され、「P111」と呼ばれ欧州向けモデルと区別されました。
インパネのデザインは、ドライバー正面に補機メーター類が、左右両端にスピードメーターとタコメーターが備わる独特なレイアウトが採用されました。又、ビニールレザーシートと手動巻き上げ式ウィンドウ採用の標準モデルの他に、本革シートとパワーウィンドウが備わる豪華版の「ウラッコS」も設定されました。そして翌1974年のトリノショーで、2台のニューバージョンが発表されました。
1台は、排気量を3Lに拡大すると共にDOHC化し、アウトプットを最高出力250hp/7,800rpm・最大トルク27kgm/5,750rpmまで引き上げた高性能版の「P300」でした。そしてもう1台は、2L以上の排気量に高額な税金が課せられるイタリアの内情に配慮し、排気量を2Lに縮小した「P200」(スペックは最高出力182hp/7,800rpm・最大トルク18kgm/5,750rpm)でした。
P250も暫く併売されたものの、1976年にカタログ落ちしました。そして、1976年に後継モデルの「シルエット」が発売された事に伴い、P200は1977年に、P300は1979年に生産終了となりました。ウラッコ各モデルの販売は振るわず、総生産台数は発売初年度に年間販売目標として掲げられていた2,000台にも遠く及ばない791台に留まりました。