ランチアは1957年のジュネーブ・ショーで、1950年にデビューした「アウレリア」の後を継ぐプレミアムモデル「フラミニア」を発表しました。ボディサイズが一回り以上拡大されセグメントが上がった他、サスペンション形式が変更されるなどメカニズム面でも改良が加えられました。又、アウレリア以上に多彩なボディ・バリエーションが用意された事も特徴でした。
センターピラー付ボディを採用
まず最初に登場した4ドアセダン「ベルリーナ」は、アウレリア同様ピニンファリーナによるデザインであったものの、スタイリングは大幅なイメージチェンジが図られました。又、2世代前の「アウグスタ」以来の伝統となっていたセンターピラーレスボディと観音開き式ドアが廃止され、一般的なセンターピラー付きボディとオール前ヒンジ式ドアが採用されました。
ボディサイズは全長4,855mm×全幅1,750mm×全高1,460mmで、アウレリアから全長と全幅が大幅に拡大された一方、全高が低められた事で伸びやかなプロポーションが実現しました。一方、ホイールベースは大差ない2,870mmで、リアのオーバーハングが延長されました。車両重量は1,430kgで、アウレリアよりも300kg以上増加しました。
サスペンション形式は、フロントは1922年に登場したラムダ以来採用し続けてきたスライディングピラー式に代わり、ダブルウィッシュボーン式が採用されました。一方リアは、アウレリア後期型と同様のド・ディオン・アクスル+パナールロッド式が踏襲されました。ブレーキは初期型ではアウレリア同様の4輪ドラム式が採用され、リアのインボードマウントも踏襲されました。
クーペ3種類とコンバーチブルを追加
駆動方式は、トランス・アクスル・レイアウト採用のFR方式が受け継がれ、搭載されたエンジンもまたアウレリア譲りの2.5L V6 OHV(最高出力102ps)でした。トランスミッションはフルシンクロ式に改められた4速MTが標準となる他、新たにセミATがオプション設定されました。そして翌1958年に、2種類の2ドア4シータークーペが追加されました。
一つは「ピニンファリーナ・クーペ」で、スタイリングはベルリーナの延長戦上にありました。もう一つは「スポルト・ザガード」で、ダブルバブル・ルーフやプレクシカバー付のヘッドランプなど、ピニンファリーナクーペとは全く異なるスタイリングを持っていました。共にボディサイズやホイールベースがベルリーナより縮小されると共に、エンジンに手が加えられ最高出力が119psに向上していました。
更に1959年には、トゥーリング製ボディを纏い、前述2モデルと同じエンジンを搭載する2シータークーペ「GTトゥーリング」及び2シーターコンバーチブル「コンバーチブル・トゥーリング」が追加されました。次いで1961年にピニンファリーナ・クーペを除きエンジンがリファインされ、最高出力がベルリーナは110psに、それ以外は3連キャブレター装備により140psに向上しました。
排気量を拡大
同時に、全車ブレーキが4輪ディスク式にアップグレードされた他、GTトゥーリングに2+2仕様の「GTL」が追加されました。次いで1962年にはピニンファリーナ・クーペにもエンジンの改良が実施され、最高出力が128psに向上しました。続いて1963年にベルリーナ及びピニンファリーナ・クーペのエンジンが2.8Lに拡大され、最高出力が前者は125psに、後者は136psに向上しました。
又、スポルト・ザガードに最高出力152psを発生する2.8Lエンジン搭載の「スーパー・スポルト」が追加されました。そして、1964年にコンバーチブル・トゥーリングが、1965年にGT/GTLトゥーリングが、1967年にピニンファリーナ・クーペ及びスポルト・ザガード/スーパー・スポルトが相次いで生産終了となり、フィアット傘下に入った翌1970年にベルリーナも生産を終了しました。