マツダ ファミリア (5代目 1980-1985):駆動方式をFFに変更しベストセラーカーに [BD]

マツダ ファミリア 3DrHB 1980

マツダ ファミリア 3DrHB 1980

1963年に初代モデルが東洋工業(現マツダ)初の本格派ファミリーカーとしてデビューした「ファミリア」は、1980年6月に3年半ぶり4度目のフルモデルチェンジが実施され、5代目モデルに移行しました。駆動方式がそれまでのFRからFFに変更されると共に操縦安定性やユーティリティーが高められ、新鮮なスタイリングと相まって歴代ファミリア最大のベストセラーとなりました。

独自のリアサスペンションを採用

マツダ ファミリア 3DrHB (1980)

ボディタイプはバンが旧型のまま継続販売された為、3ドアハッチバック/5ドアハッチバックの乗用モデル2タイプでのデビューとなりました。スタイリングはエッジの効いたシャープな造形やガラスエリアの拡大などにより、先代以上にプレーンなイメージに変貌しました。又、5ドアハッチバックは4ライトウィンドウから6ライトウィンドウに変更されました。

ボディサイズは全長3,955mm×全幅1,630mm×全高1,375mmで、先代から全長160mm、全幅が25mm拡大された他、ホイールベースも50mm延長され2,365mmとなりました。サスペンション形式はフロントはマクファーソンストラット式を踏襲し、リアは先代の5リンク・リジッド式からマツダ独自のストラット式「SSサスペンション」に変更され、操縦安定性の向上が実現しました。

エンジンは当初、1.3L直4SOHCのE3型(最高出力74ps/最大トルク10.5kgm)と1.5L直4SOHCのE5型(最高出力85ps/最大トルク12.3kgm)のNAキャブレター仕様2種類が用意されました。トランスミッションは4速/5速MTの他、1.5L車には3速トルコン式ATが設定されました。室内は、フルフラット化が可能な前席や2分割可倒やリクライニングが可能な後席など、高いユーティリティーが特徴でした。

 

マツダ ファミリアのCM

マツダ 新型ファミリア CM

ターボ車や4ドアセダンを追加

マツダ ファミリア turbo sport 1984

マツダ ファミリア ターボ「スポルトヨーロッパ」 1984

当初のグレード体系は、下から1.3LのXC/XT/XL、1.5LのXT/XL/XG(3ドアのみ)/XE(5ドアのみ)のラインナップでした。そして同年9月、全長を200mm延長すると共に専用フロントマスクを採用した3ボックス型4ドアセダン「ファミリアサルーン」が追加されました。基本メカニズムはハッチバックと共通で、グレード体系もほぼ同一ながらXE/XG両グレードが設定される点が相違点でした。

マツダ 323セダン(輸出仕様) 1980

マツダ 323セダン(輸出仕様) 1980

次いで1983年1月のマイナーチェンジでサルーンがハッチバックと共通のフロントマスクに変更されると同時に、3ドアハッチバック/サルーンに最高出力95ps/最大トルク12.6kgmを発生する1.5L EGI(電子燃料噴射)仕様エンジン搭載の「XGi」が追加されました。更に同年6月には、同じく3ドアハッチバック/サルーンに最高出力115psを発生する1.5L EGIターボエンジン搭載車が追加されました。

グレードはXGターボとXG-R(3ドアハッチバックのみ)が用意され、後者にはフロントにバケットシートが装備されました。そして1985年1月にフルモデルチェンジが実施され、6代目モデルに移行しました。

ファミリアターボのCM(1983)

マツダ ファミリアターボCM 1983年

 

新車情報 ’83「マツダ ファミリアターボ」

新車情報 ’83「マツダ ファミリアターボ」

5代目マツダ ファミリアのインプレッション

マツダ ファミリア 3DrHB 1980

1980年の5代目マツダ・ファミリアを半年待って購入しました。1500cc 5ドアのハッチバックFFでした。現在50代も半ばの女性ですが、その頃の若者の車に対する思い入れというものは、今では考えられない位の現象が起きていました。

大学生のハートを捉えた車

マツダ ファミリア 3DrHB 1980

マツダ ファミリア 3DrHB 1980

車、スキー、サーフィン、音楽はサザン、山下達郎がセットになって流行となり若者がある意味、同じ方向を向いていたと思います。その中でも赤のマツダファミリアほど若者の、大学生のハートを捉えた車はなかったのではないでしょうか。

男女問わず、赤が人気で買う時も赤でなければもっと早く来るのですが、といわれましたが、赤以外は考えられませんでした。でも、ファミリアが人気があったのは、走り屋みたいなヤンキーではなくて「大学生」か大卒の若者という線引きがあったようにも感じます。

また、現在の女性向けの雑誌は良く見ていないので分かりませんが、昔のJJには必ず、彼氏の車でなくて女子大生が自分の車を自慢してこれで大学に通ってます、みたいな記事が必ずありました。よく登場していたのは神戸女学院大学のお嬢様たちでした。今またモデルで活躍している黒田知永子さんが初代読モで活躍していた時代です。

その頃はまだノンキな時代なのか、都内23区内でも世田谷区少し外側の区域の大学であれば車通学が可能でした。車にはカーコンポをマツダ純正でつけたのが自慢でした。ですがスピーカーは後部座席にKENWOODを左右つけることがステイタスでした。

また、友達とドライブに行くときには、サザン、山下達郎、ユーミンの曲をいかにオリジナリティーあふれる編集で流して感動させるか、ということが最大の関心事でした。その頃流行っていた音楽はみな、歌の風景がドライブを主体にしていました。ユーミンの「中央フリーウェイ」の歌詞そのものの場所(ビール工場、競馬場)、山手の「ドルフィン」も電車やバスでなくて車でなくては行かれない場所でした。

スキー全盛時代は車が支えた

それから、その頃の社会現象にまでなった「私をスキーに連れてって」は少しあとの時代ですが、スキー全盛時代は車が支えたといっても過言ではありません。赤のファミリアに、マツダ純正でなかったのが残念ですが、スキーキャリーを付け、「恋人がサンタクロース」、「ロッジで待つクリスマス」「サーフ&スノー」を流しながら、「狂」が付くくらいスキーにはまりました。

私の自慢は、スキーに行くためにその頃は許されていたスパイクタイヤをはいていたことです。料金所やタイヤチェーン装着所で慣れない手つきでチェーンを付けようとしてうまくいかず、彼女がイラつくという男子を横目にサァーっと停まっている都会の車を追い越してスキー場に向かい、またその途中でチェーン装着でノロノロ運転の車をこれ見よがしに追い越してはいい気分になっていました。

でも、私は雪国で育ったので、タイヤチェーンもお手の物で、チェーンがタイヤにからまって困っている都会男子を手伝ってあげました。車にまつわる楽しい思い出はイコール私の青春時代でした。

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