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ダイハツの車種一覧(現行車種・過去車種)

ダイハツの現行車種一覧

軽自動車

ウェイク (2014~)

現行モデル:ウェイク (’14- LA700S/710S)

タント (2003~)

現行モデル:3代目タント (’13- LA600S/LA610S)

過去モデル:初代 (’03-’07 L350S/360S) / 2代目 (’07-’13 L375S/385S)

ムーヴ (1995~)

現行モデル:6代目ムーヴ (’14- LA150/160S)

過去モデル:初代 (’95-’98 L600/610S) / 2代目 (’98-’02 L900/910S) / 3代目 (’02-’06 L150/160S) / 4代目 (’06-’10 L175/185S) / 5代目 (’10-’14 LA100/110S)

キャスト (2015~)

現行モデル:キャスト (’15-)

ミライース (2011~)

現行モデル:ミライース (’11- LA300S/310S)

その他

コペン (2代目 ’14- LA400K) / ミラ (7代目 ’06- LA275S/V L285S/V) / ミラココア (’09- L675S/L685S)  / ムーヴコンテ (’08- L575S L585S) / アトレー

乗用車

トール/カスタム (2016~)

現行モデル:トール/カスタム (’16- M900S/910S)

ブーン (~)

現行モデル:3代目ブーン (’16- M700S/710S)

その他

メビウス / アルティス

ダイハツの過去販売車種

タフトソニカ / フェロー

ダイハツ工業株式会社の概要(2017年3月期)

日本の自動車メーカーであるダイハツ工業株式会社は、内燃機関の製造・販売を目的とした発動機製造(株)として創業され、現在はトヨタ自動車の完全子会社となっています。コーポレートマークは「DAIHATSU」で、ブランドシンボルは頭文字の「D」となっています。

主な事業内容は自動車の製造・販売で、事業所および生産拠点は日本国内のほか、中国・インドネシア・マレーシアにも置かれています。また、ダイハツ出資比率が50%を超える主要関係会社は8社を数えます。

  • 本社所在地:大阪府池田市ダイハツ町1-1 
  • 設立:1907年(大正9年)3月1日
  • 設立時の名称:発動機製造株式会社
  • 代表者:三井正則(代表取締役会長)、奥平総一郎(代表取締役社長)、横山裕行(代表取締役副社長)
  • 資本金:284億円(2017年3月末現在)
  • 売上高:
  • 営業利益:
  • 従業員数:12,454人(2016年4月1日現在)
  • 販売台数:国内向け586,816台、海外向け969,848台(2015年度)

コーポレートビジョン

主文

私たちダイハツグループは、時代をリードする革新的な「クルマづくり」への挑戦を通じて、”世界の人々に愛されるグローバル・ブランド”、”自信と誇りを持った企業グループ”を目指します。

副文

  1. 世界のお客様の笑顔と感動が私たちの喜びです。
  2. お互いの個性尊重と公平が私たちの絆です。
  3. 地球と社会の共生が私たちの責務です。
  4. スピード・ブレークスルー・率先垂範が私たちの基本です。
  5. 世界一のスモールカーづくりが私たちの挑戦(チャレンジ)です。

ダイハツの沿革

1900年代~戦前:エンジンメーカーから自動車メーカーに

1907年3月に発動機製造(株)が設立され、同年12月には国産初の6馬力吸入ガス発電機が制作されました。その後1930年4月に空冷4ストローク単気筒500ccのガソリンエンジンが制作され、同年12月には同社初の自動車となる3輪自動車「HA型(ダイハツ号)」が発売されました。車室は持たず、オートバイの後部に荷台を取り付けたような構造になっていました。

次いで翌1931年5月、3輪自動車第2弾となる「HB型(ツバサ号)」が発売されました。続いて1937年4月に初の4輪自動車となる「FA型」が発売され、1939年2月には池田工場(現本社第1工場)の操業が開始されました。

戦後~1950年代:軽オート3輪ミゼットが大ヒット

そして戦後になると、1951年10月に3輪乗用車「Bee(ビー)」が発売されました。車輪の配置はいわゆるオート3輪と同じ前1輪、後ろ2輪で、ボディタイプは2ドアセダンで、ディメンションは全長3,950mm×全幅1,480mm×全高1,450mmでした。乗車定員は4名で、RRレイアウト採用による居住性の高さが謳われていました。

搭載エンジンは空冷4ストローク水平対向2気筒540cc(最高出力13.5ps)もしくは804cc(最高出力18ps)で、リアサスペンションは当時としては先進的なダブルウィッシュボーン独立懸架式が採用されました。追って同年12月、社名が現在と同じダイハツ工業に改称されました。次いで1957年8月、新型軽3輪トラック「ミゼット(DK型)」が発売されました。

全長2,540mm×全幅1,200mm×全高1,500mmのコンパクトなボディは、フロントウィンドウこそ備わっていたもののドアは持たず、屋根は幌製という簡素に作りになっていました。初期型はバーハンドル仕様で、乗車定員は1名でした。エンジンは強制空冷2ストローク249cc単気筒(最高出力10ps)を搭載、最高速度60km/hの性能でした。

最大積載量は300kgで、標準の開放荷台仕様のほか幌型や密閉式なども用意されていました。ミゼットは、価格の安さやスクーター免許でも乗れる手軽さなどにより大ヒット、軽3輪トラックブームの火付け役となりました。その後、1959年10月に密閉型キャビンと丸形ステアリングホイールが備わる改良型(MP2型)が登場、引き続き高い人気を獲得しました。

1960年代:4輪車を次々とリリース

次いで1960年11月、同社初の軽4輪自動車となる商用車「ハイゼット」が発売されました。ボディサイズは全長2,990mm×全幅1,290mm×全高1,420mmで、当初はトラックのみのラインナップであったものの、翌年ライトバンとパネルバンが追加されました。次いで1963年5月、小型商用車「コンパーノ・ライトバン」が発売されました。

ボディサイズは全長3,790mm×全幅1,425mm×全高1,440mmで、ラダーフレームを持つ古典的な構造が採用された一方、イタリアのカロッツェリア・ヴィニャーレによる美しいスタイリングを備えていました。駆動方式はFRで、エンジンは800cc直4OHV(最高出力41ps/最大トルク6.5kgm)が搭載されました。その後、乗用車登録のワゴンやセダン「ベルリーナ」が追加されました。

次いで同年10月に教育センター(現販売研修センター)が、翌1964年3月に保健センターが設立されました。追って同年4月には、コンパーノの新たなバリエーションとして、2ドア4座コンバーチブルボディに1L直4OHVツインキャブレターエンジン(最高出力65ps/最大トルク7.8kgm)を搭載する「スパイダー」が追加されました。

次いで1965年3月に池田市に本社事務所(現本社・本館)が完成、翌1966年5月にはディーゼル機関の製造販売部門がダイハツディーゼルとして独立しました。続いて同年11月、新型軽自動車「フェロー」が発売されました。FR方式を採用するなど手堅い設計であった一方、エクステリアは「プリズムカット」と呼ばれるスクエアなフォルムや国産車初の角型ヘッドランプが備わるなど、個性的なものでした。

エンジンは、水冷2ストローク360cc直2(最高出力23ps/最大トルク3.5kgm)が搭載されました。次いで1967年11月にトヨタ自動車およびトヨタ自動車販売との間に業務提携が締結され、1969年4月に共同開発による小型乗用車「コンソルテベルリーナ」が発売されました。同時にトヨタから発売された2代目「パブリカ」とは、基本メカニズムやボディシェルを共有する姉妹車種の関係にありました。

しかし、それとはフロントまわりとリアまわりの意匠が異なっていたほか、エンジンはダイハツ自社製の1L直4ユニットFE型(最高出力58ps/最大トルク8kgm)が搭載されました。次いで同年9月、同社初の市販EVとなる「フェローバンEV」が発売されました。

1970年代:5平米カーのシャレードがヒット

そして1970年代に入ると、同年4月にフェローの後継モデル「フェローMAX」が発売されました。最大の変更点は、スペース効率の追求に有利なFF方式が採用されたことでした。当初はシングルキャブレターエンジン搭載の2ドアセダンと3ドアバンのラインナップであったものの、追って軽自動車トップの最高出力40psを発生するツインキャブレターエンジン搭載車や軽自動車初の2ドアハードトップが追加されるなど、順次バリエーションが拡大されました。

続いて1971年3月、集配用超小型3輪EV「DBC-1」が発売されました。1人乗りで最大積載量は100kg、最高出力2.8kWの直流モーターと鉛バッテリーを搭載し、後続距離40km以上の性能でした。次いで1974年8月、同社初の4輪駆動車となる「タフト」が発売されました。当時の4輪駆動車は軽規格の「スズキ・ジムニー」の上はいきなり排気量2L超の「三菱・ジープ」や「トヨタ・ランドクルーザー」となっていたため、その中間を狙ったモデルでした。

ボディサイズはジムニーよりも一回り大きい全長3,320mm×全幅1,460mm×全高1,860mmで、エンジンはコンソルテ譲りのFE型が搭載されました。さらに同年11月、コンソルテの上級車種として、E20型「トヨタ・カローラ」のコンポーネンツを用いた小型乗用車「シャルマン」が発売されました。技術的な特徴には乏しかったものの、大衆車らしからぬ高級感が売り物でした。

続いて1976年1月に軽自動車規格が改正されたことを受け、新規格対応モデル第一弾として同年4月に「フェローMAX550」が発売されました。エンジンは、それまでの2ストローク360ccに代わり4ストローク550cc直2OHVが搭載されました。次いで1977年11月、コンソルテに代わる新型コンパクトカー「シャレード」が発売されました。

コンソルテと異なり完全なダイハツオリジナル設計で、ボディタイプは5ドアハッチバック、ディメンションは全長3,460mm×全幅1,510mm×全高1,360mmでした。駆動方式はFFで、エンジンは新開発のバランサー付1L直3SOHC(最高出力55ps/最大トルク7.8kgm)が搭載されました。その投影面積から「5平米カー」のキャッチコピーで売り出され、合理的なパッケージングや優れた経済性などにより商業的に成功を収めました。

また、専門家筋からの評価も高く、翌1978年1月に77年度カーオブザイヤーを受賞しました。次いで1979年10月、インドネシアの生産工場「P.T.ダイハツ・インドネシア」の操業が開始されました。

1980年代:ミラ・クオーレのヒットとアプローズの失敗

続いて1980年代に入ると、同年6月に新型軽商用車「ミラ・クオーレ」(のちに「ミラ」に車名変更)が発売されました。前年に発売され大ヒットしていた「スズキ・アルト」の対抗馬で、市場で熾烈な販売台数争いが繰り広げられました。次いで1981年12月、イタリアのイノチェンティ社と1Lエンジンなどの供給に関して調印が行われました。

続いて1986年7月にダイハツ・アメリカ社(DAI)が、1988年12月にダイハツ・ドイツ有限会社(DDG)が設立されました。次いで1989年7月、新型小型乗用車「アプローズ」が発売されました。シャルマンの事実上の後継モデルで、開発はダイハツ単独により行われました。ボディタイプは3ボックス型の5ドアハッチバックで、駆動方式はFFのほかフルタイム4WDも設定されました。

良心的な設計が行われたモデルであったものの、発売直後に不具合が連続して発生、出火事故が発生したことなどから販売は低迷しました。

1990年代:ムーヴが大ヒット

次いで1990年1月に軽自動車規格が改正されたことを受け、3月に660ccエンジンを搭載する新型ミラおよびハイゼットが発売されました。続いて1990年12月、イタリアのピアッジオ社と合弁契約が締結され、のちに同社によるハイゼットの生産が開始されました。次いで1991年11月、同社の軽自動車として初のオープンボディを採用した「リーザスパイダー」が発売されました。

同時代の軽オープンモデル「ホンダ・ビート」や「スズキ・カプチーノ」が2シーターであったのに対し、実用的な4シーターであることが特徴でした。続いて1995年5月、ミニカー規格の1人乗りEV「ミニ・スウェイ」が発売されました。定格出力590WのDCブラシレスモーターと鉛バッテリーを搭載、最高速度45km/h・航続距離55km(定速走行)の性能でした。

追って同年8月、新型軽トールワゴン車「ムーヴ」が発売されました。「スズキ・ワゴンR」の対抗馬で、当時ワゴンRが後席用ドアが助手席側にしか備わらない4ドアのみの設定であったのに対し、両側に後席用ドアが備わる5ドアである点がアドバンテージでした。ムーヴは大ヒットし、市場でワゴンRと販売競争を繰り広げました。

次いで1996年4月、小口配送用途を見込んだ1人乗りの軽トラック「ミゼットⅡ」が発売されました。初代ミゼットと異なり4輪車で、基本コンポーネンツはハイゼットから流用されていました。続いて1998年9月、トヨタ自動車が株式の過半数を取得して親会社となりました。

2000年代~:新カテゴリーの軽自動車をリリース

そして2000年代に入ると、2002年6月に2シーター・オープン仕様の軽スポーツカー「コペン」が発売されました。駆動方式はFFで、エンジンは660cc直4DOHCターボ(最高出力64ps/最大トルク11.2kgm)が搭載されました。旧規格時代に販売されていたビートやカプチーノはすでに姿を消していたため、唯一の本格軽スポーツカーとしてファンから歓迎されました。

次いで2003年11月、新型軽乗用車「タント」が発売されました。全高1,725mmというハイトを生かしたビッグキャビンが特徴で、スーパートールワゴンという新カテゴリーを切り開いた先駆者となりました。続いて2004年6月、トヨタ自動車との共同開発による新型コンパクトカー「ブーン」(トヨタ版は「パッソ」)が発売されました。

次いで2005年8月には、同社初のハイブリッド車となると同時に、軽商用車初のハイブリッド車でもある「ハイゼットカーゴハイブリッド」が発売されました。続いて2006年6月、走りの質感を追求した新型軽乗用車「ソニカ」が発売されました。全高1,470mmというハイトを抑えたディメンションや、2,440mmのロングホイールベースが特徴で、パワートレインは全車660cc直3ターボエンジンとCVTの組み合わせが搭載されました。

次いで2011年9月、燃費性能を追求した新型軽乗用車「ミラe:S(イース)」が発売されました。車両重量の軽減と同時にエネルギー効率の最大化を図った「e:Sテクノロジー」を投入、純ガソリン車トップの10.15モード燃費32km/Lを達成したことが特徴でした。そして2016年8月、トヨタ自動車の完全子会社化されました。