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日産自動車の車種一覧(現行車種・過去車種)

日産の現行車種一覧

ミニバン

セレナ

現行モデル:セレナ 

NV200

現行モデル:NV200バネット

エルグランド

現行モデル:エルグランド

NV350キャラバン

現行モデル:NV350キャラバン

コンパクト

マーチ

現行モデル:マーチ

キューブ

現行モデル:キューブ

ノート

現行モデル:ノート

セダン

シルフィ 

現行モデル:シルフィ 

ティアナ 

現行モデル:ティアナ 

スカイライン 

現行モデル:スカイライン

フーガ

現行モデル:フーガ

シーマ

現行モデル:シーマ

スポーツ/SUV

ジューク

現行モデル:ジューク

エクストレイル 

現行モデル:エクストレイル

フェアレディZ

現行モデル:フェアレディZ

GT-R

現行モデル:GT-R 

軽自動車

デイズ

現行モデル:デイズ

デイズ ルークス

現行モデル:デイズ ルークス

N100クリッパーリオ

現行モデル:N100クリッパーリオ

電気自動車

リーフ

現行モデル:リーフ

e-NV200 

現行モデル:e-NV200 

日産の過去販売車種

 スカイラインクロスオーバー / モコ / ウイングロード / ラティオ

ローレル / セフィーロ / シルビア / 180SX / プリメーラ / Be-1 / エスカルゴ / パオ / ラシーン / フィガロ / チェリー

ダットサンの過去販売車種

DC-3 / スポーツ1000 / フェアレディ1200 / フェアレディ

日産自動車の概要

日本の大手自動車メーカーである日産自動車株式会社は、橋本増治郎が中心となって設立した快進社から発展、現在はフランスの大手自動車メーカーであるルノーとルノー=日産アライアンス(提携)を形成しています。コーポレートマークは「NISSAN」で、ブランドシンボルは「旭日昇天を表す円」を「至誠を表す帯」が貫くデザインとなっています。

主な事業内容は自動車の製造・販売および関連事業で、事業所は日本国内のほか世界各地に展開しています。また、主な関連会社として特装車を手掛けるオーテックジャパンやトランスミッションなどを手掛けるジャトコ、ルノー車の輸入販売を手掛けるルノー・ジャポン、プロサッカーチームの横浜マリノスなどが存在します。

日産自動車株式会社の概要(2016年3月末現在)

  • 本社所在地:神奈川県横浜市神奈川区宝町2番地
  • 設立:1933年(昭和8年)12月26日
  • 設立時の名称:自動車製造株式会社
  • 代表者:カルロス・ゴーン(取締役会長)、西川廣人(社長兼最高経営責任者・2017年4月1日付)、グレッグ・ケリー(取締役)
  • 資本金:6,058億1,300万円
  • 売上高:連結11兆7,200億円(2016年度)
  • 営業利益:連結7,422億円(2016年度)
  • 従業員数:連結152,421人、単独22,471人
  • 販売台数:国内向け55万7,000台、グローバル:563万台(2016年度)

コーポレートビジョン

・「人々の生活を豊かに」をビジョンに掲げ、グローバルなあらゆる事業活動を通じて社会の持続的な発展に貢献する。
・独自性に溢れ、革新的なクルマやサービスを創造し、その目に見える優れた価値を、ルノーとの提携のもとにすべてのステークホルダーに提供する。
・世界をリードする自動車メーカーとして、人々が直面する課題の解決に貢献する。
・お客様、株主、従業員、地域社会などすべてのステークホルダーを大切に思い、将来にわたって価値ある持続可能なモビリティの提供に努める。
・事業を通じて経済貢献すると同時に、社会の一員として、持続可能な社会の発展を目指す。

日産の沿革

1910年代~戦前:日産自動車の誕生

1911年に快進社自働車工場が設立され、自動車の国産化に乗り出しました。そして1914年に快進社に出資した田、青山、竹内の頭文字を取って名付けられた「ダット自動車(脱兎号)」が完成、大正博覧会に出品され銅牌を受賞しました。続いて1918年に株式会社快進社が発足し、翌1919年には日本初の単塊鋳造4気筒エンジン搭載車「ダット41型乗用車」が発売されました。

その一方で、同じ1919年にアメリカ人技師ウィリアム・R・ゴルハムにより、「ゴルハム式三輪車」の製造販売を手掛ける実用自動車製造株式会社が設立されました。その後1925年に、快進社が販売を強化するため合資会社ダット自動車商会を設立、さらに翌1926年にはこのダット自動車商会が実用自動車製造と合併し、ダット自動車製造株式会社となりました。

次いで1931年、ダット自動車製造は自動車部品を製造していた戸畑鋳物株式会社の傘下に入り、翌1932年に水冷495cc直4SVエンジン(最高出力10ps)搭載の小型2ドアセダン「ダットソン10型」が完成しました。しかし、ダットソンのソンは「損」につながるという理由により、翌1933年に「SUN(太陽)」を意味するダットサンに変更されました。また、1933年3月に戸畑鋳物自動車部が創立され、さらに同年12月には持ち株会社の日本産業と戸畑鋳物が出資して自動車製造株式会社が設立されました。

次いで1934年5月に横浜工場が完成し、追って6月には日本産業100%出資となると同時に、社名が現在と同じ日産自動車株式会社に変更されました。さらに同月、「ダットサン」のアジアや中南米への輸出が開始されました。続いて1937年、初のニッサン・ブランド車となる「乗用車70型」「トラック80型」「バス90型」が発売されました。

このうちニッサン乗用車70型は、アメリカのグラハムページ社の乗用車を国産化したもので、全長4,750mm×全幅1,720mm×全高1,750mmのディメンションを持つ洗練された4ドアセダン型ボディに、3.7L直6SVエンジン(最高出力85ps/最大トルク23kgm)を搭載するモデルでした。その後1943年12月に、乗用車・トラックとも全面的に生産中止となりました。次いで1944年に本社事務所が東京日本橋に移転されるとともに、社名が日産重工業株式会社に変更されました。

戦後~1950年代:オースチン社と技術提携

そして終戦を迎えてから3か月後の1945年11月に、戦後第1号車がラインオフしました。次いで1946年1月に本社事務所が再び横浜市に移転されたのち、同年8月に戦後初の新型車となる「ダットサン・トラック2124型」が、さらに翌1947年11月に戦後初の新型乗用車「ダットサン・スタンダードセダンDA型」が発売されました。そして1949年8月に社名が日産自動車に戻され、翌1950年5月には日産ディーゼル工業の前身である民生ディーゼル工業への資本参加が行われました。

次いで1951年12月、同社初の4輪駆動車「ニッサン・パトロール(4W60型)」が発売されました。ラダー・フレームに「ウイリス・ジープ」に類似したソフトトップ仕様のボディを架装したモデルで、エンジンは3.7L直6SVのA型が搭載されました。続いて1952年12月にイギリスのオースチン社と技術提携が結ばれ、翌1953年3月に「オースチン・A40サマーセット」のノックダウン生産版である「日産オースチン」が発売されました。

次いで1955年1月、新開発のラダー・フレームと近代的なプレスボディを採用した新型小型乗用車「ダットサン110型セダン」が発売されました。4ドアセダン型ボディのサイズは全長3,860mm×全幅1,466mm×全高1,540mmで、駆動方式はFR、エンジンは水冷860cc直4SVのD-10型(最高出力25ps/最大トルク5.1kgm)が搭載されました。その合理的なスタイリングは評論家筋から高く評価され、翌1956年に毎日工業デザイン賞を受賞しました。

1960年代:近代的なモデルが続々登場

1960年代に入ると、同年3月にオースチン社との技術提携が終了、そして翌4月に「日産・オースチンA50ケンブリッジ」の後継モデルとして、自社開発による新型中型乗用車「ニッサン・セドリック(G30型)」が発売されました。国産車最大級の全長4,410mm×全幅1,680mm×全高1,520mmのボディは、日産初のモノコック構造が採用されたほか、縦型4灯式のヘッドランプやラップラウンドタイプのフロントウィンドウをデザイン上の特徴としていました。

エンジンは当初、1.5L直4OHVのG型(最高出力71ps/最大トルク11.5kgm)が搭載されました。また、4輪サーボブレーキやゴムパッド付インパネの採用など、安全性にも配慮が行われていました。次いで同年9月に米国日産が、翌1961年9月にメキシコ日産が設立され、本格的な海外市場進出への歩みが始まりました。

続いて1962年3月に追浜工場が完成、追って同年10月に国内向け初の量販スポーツカーとなる「ダットサン・フェアレディ(SP310型)」が発売されました。ボディタイプはオープンの2ドアロードスターで、ディメンションは全長3,910mm×全幅1,495mm×全高1,275mm、乗車定員は当初は3名でした(のちに2名に変更)。駆動方式はFR、エンジンはセドリック譲りのG型が搭載され、4速MTを介して最高速度150km/hの性能を発揮しました。

次いで1965年5月に座間工場が完成、翌1966年4月には同社のエントリーモデルとなる2ドアセダン型大衆車「ダットサン・サニー(B10型)」が発売されました。全長3,820mm×全幅1,445mm×全高1,345mmのボディは645kgと軽量で、活発な1L直4OHVのA10型エンジン(最高出力56ps/最大トルク7.7kgm)と相まって軽快な走行性能を実現していました。

サニーは発売開始から5か月で販売台数が3万台を超えるなど人気が沸騰、のちに4ドアセダンや2ドアクーペが追加され、ベストセラーカーとしての地位を不動のものとしました。次いで同年8月にプリンス自動車工業と合併、それに伴い村山工場が日産に帰属しました。また、プリンスが製造・販売していた「スカイライン」や「グロリア」などは日産ブランド車として生産が継続されました。

続いて1967年8月、中型乗用車「ダットサン・ブルーバード」に2度目のフルモデルチェンジが実施され、3代目P510型となりました。搭載エンジンは新開発の直4SOHCユニットL13/L16型で、従来のイメージを一新するシャープなスタイリングや4輪独立懸架式の足回りなどが好評を博し、国内のみならず北米においても大ヒットしました。

次いで1968年10月、スカイラインにフルモデルチェンジが実施され通算3代目のC10型に移行、翌1969年2月には、プリンス時代に開発されたレーシングカー「R380」譲りの2L直6DOHCユニットS20型(最高出力160ps/最大トルク18kgm)を搭載する高性能版「2000GT-R」が追加されました。2000GT-Rはレースでも大活躍し、スカイライン人気の火付け役となりました。

次いで同年10月、ダットサン・フェアレディに代わる新型スポーツカー「フェアレディZ」が発売されました。ボディはモダンなスタイリングをもつフィクスドヘッド型2ドアクーペで、ディメンションはSP310型フェアレディより一回り大きい全長4,115mm×全幅1,630mm×全高1,290mmでした。また、サスペンションは4輪ストラット式独立懸架が採用されました。

エンジンは、国内向けに用意されたのは2L直6SOHCのL20型(最高出力130ps/最大トルク17.5kgm)およびスカイライン2000GT-R譲りのS20型の2種類で、特に後者を搭載する「Z432」は国産車トップとなる最高速度210km/hの性能を発揮しました。一方、海外仕様車は2.4L直6SOHCのL24型が搭載され、ライバルの「ポルシェ・911」などよりもはるかに安価で取り扱いも容易であったことから、北米市場で大ヒットしました。

1970年代:初のFF車チェリーを発売

そして1970年代に入ると、同年10月に同社初のFF車となる新型大衆車「チェリー(E10型)」が発売されました。ボディサイズは全長3,610mm×全幅1,470mm×全高1,380mmとサニーよりもコンパクトで、エンジンはサニーと共通のA10型が搭載されました。当初2ドア/4ドアセダンのラインナップでスタートしたものの、のちに2ドアクーペやライトバンが追加されました。

次いで1971年3月に栃木工場が完成、翌1972年9月には生産累計1,000万台を達成しました。続いて1977年6月に九州工場が完成し、翌7月には生産累計2,000万台を達成しました。

1980年代:フォルクスワーゲン車をノックダウン生産

次いで1980年1月に輸出累計1,000万台、翌1981年8月に生産累計3,000万台を達成しました。追って翌9月に、西ドイツ(当時)のフォルクスワーゲン社と乗用車の生産・販売に関する協力契約が締結されました。次いで1982年10月、新型FFハッチバック・コンパクトカー「マーチ(K10型)」が発売されました。

全長3,645~3,785mm×全幅1,560mm×全高1,395mmのボディは巨匠ジウジアーロによりデザインされ、エンジンは1L直4SOHCのMA10型(最高出力57ps/最大トルク8kgm)が搭載されました。スタイリングの良さや合理的なパッケージング、経済性などが評価され、ベストセラーカーとなりました。

続いて1984年2月、フォルクスワーゲンのFF中型セダン「サンタナ」のノックダウン生産版が、日産系ディーラーを通じて発売されました。次いで1988年1月、セドリック/グロリアの上位に位置する高級セダン「セドリック・シーマ/グロリア・シーマ」が発売されました。ボディは全長4,890mm×全幅1,770mm×全高1,400mmの3ナンバーサイズで、エンジンは3L V6DOHCの NAまたはターボが搭載されました。

上級グレードで500万円を超える高額車であったにも関わらず、発売開始から1年で3万6千台以上を販売するヒット作となり、「シーマ現象」と呼ばれました。続いて1999年8月、8代目R32型スカイラインに16年ぶりとなるGT-Rグレードが追加されました。駆動方式は電子制御トルクスプリット式フルタイム4WD「アテーサE-TS」が採用され、エンジンは2.6L直6DOHCツインターボのRB26DETT型(最高出力280ps/最大トルク36kgm)が搭載されました。

1990年代:ルノーと提携

そして1990年代に入ると、まず同年1月に北米日産会社が設立されたほか、生産累計5,000万台を達成しました。次いで1996年10月には、海外生産累計1,000万台を達成しました。続いて1997年10月、高級セダン「レパード(JY33型)」に、日産初の直噴ガソリンエンジンとなる3L V6DOHCのVQ30DD型(最高出力230ps/最大トルク30kgm)搭載車が追加されました。次いで1999年3月、ルノーと資本参加を含む提携契約に調印しました。

追って同年11月、セドリック/グロリア(Y34型)に、ディスクとパワーローラーを用いた画期的な無断変速機「エクストロイドCVT」搭載車が追加されました。エクストロイドCVTは「夢のトランスミッション」とも呼ばれ、1999-2000テクノロジー・オブ・ザ・イヤーを受賞しました。

2000年代:スズキおよび三菱自動車と提携

2000年代に入ると、2001年4月にスズキと軽自動車のOEM供給についての基本合意が交わされ、翌2002年4月に「スズキ・MRワゴン」のOEM版となる「モコ」が発表されました。次いで2003年8月、三菱自動車と軽商用車に関する製品供給契約が締結されました。追って同年12月には、燃料電池車「X-TRAIL FCV」の限定リース販売が開始されました。

次いで2006年6月にグローバル生産累計台数が1億台を突破、追って同年9月に日産ディーゼルの保有全株式がボルボに売却されました。続いて2007年12月、高性能2ドアGTカー「GT-R」が発売されました。世界初の「独立型トランスアクスル4WD」を採用、パワートレインは3.8L V6DOHCツインターボのVR38DETT型エンジン(最高出力480ps/最大トルク60kgm)と6速DCTの組み合わせが搭載されました。

2010年代:量販EVリーフを発売

そして2010年代に入ると、同年12月に量販型EV「リーフ」が発売されました。ボディは全長4,445mm×全幅1,770mm×全高1,545mmのディメンションを持つ5ドアハッチバックで、モーターは最高出力80kW/最大トルク280Nmのスペックを持っていました。バッテリーは大容量のリチウムイオン型が採用され、航続距離は200kmでした。

次いで2011年6月、三菱自動車と軽自動車事業に関わる合弁会社「株式会社NMKV」を設立、2013年6月に協業による新型軽乗用車「デイズ」が発売されました。続いて2014年6月、日産初のEV商用車「e-NV200」が発表されました。次いで2016年10月に三菱自動車工業の株式34%を取得、筆頭株主となりました。