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マツダの車種一覧(現行車種・過去車種)

 

マツダの現行車種一覧

セダン/ワゴン/ハッチバック

デミオ (1996-)

現行モデル:4代目 (’14- DJ)

過去モデル:初代 (’96-’02 DW)2代目 (’02-’07 DY) / 3代目 (’07-’14 DE)

アクセラ (2003-)

現行モデル:3代目 (’13- BM/BY)

過去モデル:初代 (’03-’09 BK)2代目 (’09-’13 BL)

アテンザ (2002-)

現行モデル:3代目 (’12- GJ)

過去モデル:初代 (’02-’08 GG/GY)2代目 (’08-’12 GH)

SUV

CX-3 (2015-)

現行モデル:初代 (’15- DK5)

CX-5 (2012-)

現行モデル:2代目 CX-5 (’17- KFEP/2P/4P)

過去モデル:初代 (’12-’17 KE)

CX-8 (2017-)

現行モデル:初代 (’17- KG2P)

スポーツ

ロードスター (1989-)

現行モデル:4代目 ’15- ND

過去モデル:初代 ユーノス ロードスター (’89-’98 NA)2代目 (’98-’05 NB)3代目 (’05-’15 NC)

軽自動車

フレア (2012-)

過去モデル:初代(2012-2017 MJ34S/44S)

フレアワゴン (2012-)

過去モデル:初代(2012-2013 MM21S)/ 2代目(2013-2018 MM32S/42S)

フレアクロスオーバー  (2014-)

キャロル  (1962-)

過去モデル:初代 キャロル360 (’62-’70 KPDA/NRA)2代目 オートザム キャロル (’89-’95 AA)3代目 オートザム キャロル (’95-’98 AC) / 4代目 (1998-2004 HB12S/22S/23S)/ 5代目(2004-2009 HB24S)/ 6代目(2009-2015 HB25S/35S)

スクラムワゴン

商用車

ボンゴ (1966-)

現行モデル:4代目 ’99- SK82/SKF2/SKP2/SLP2)

過去モデル:初代 (’66-’75 FASH) / 2代目 (’77-’83 BA2)3代目 E8/F8 ’83-’99)

ボンゴフレンディ (SG ’95-’06)

マツダの過去販売車種

スポーツカー・クーペ

RX-8 (2003-2012)

初代RX-8 (SE3P 2003-2012)

RX-7 (1978-2002)

初代 (’78-’85 SA22C) / 2代目 (’85-’92 FC3S)3代目 (’91-’02 FD3S)

コスモ (1967-1996)

初代 コスモスポーツ (’67-’72 L10A/10B)2代目 コスモ AP/L (’75-’81 CD23C/22C/2VC)3代目 コスモ (’81-’90 HB)4代目 ユーノス コスモ (’90-’96 JC)

スポーツカー・クーペ その他

サバンナ (’71-’78 S124A) / エチュード (’87-’90 BFMP) / ユーノス プレッソ/オートザム AZ-3 (EC ’91-’98) / オートザム AZ-1 (’92-’95 PG)

セダン/ワゴン/ハッチバック

ファミリア (1963-2004)

初代 (’63-’68)2代目 (’67-’78)3代目 (’73-’77)4代目 (’77-’85)5代目 (’80-’85)6代目 (’85-’94)7代目 (’85-’94)8代目 (’94-’99)9代目 (’98-’04)

グランドファミリア (’71-’78) 

カペラ

初代 (’70-’74)2代目 (’74-’78) / 3代目 (’78-’85)4代目 (’82-’87)5代目 (’87-’99)6代目 (’94-’97)7代目 (’94-’97)

クロノスファミリー

マツダ クロノス/アンフィニ MS-6 (’91-’97 GE)MX-6 (’92-’95 GE)ユーノス500 (’92-’99 CA)アンフィニ MS-8 (’92-’97 MB)オートザム クレフ (’92-’94)

ルーチェ

初代 (’66-’72)2代目 (’72-’78)3代目 (’77-’88)4代目 (’81-’86) / 5代目 (’86-’95)

ルーチェロータリークーペ (’69-’72)

センティア

 初代センティア(アンフィニMS-9) (’91-’95 HD)2代目 (’95-’00 HE)

セダン/ワゴン/ハッチバック その他

ロードペーサー (’75-’79) / ペルソナ(ユーノス300) (’88(’89)-’92)オートザム レビュー (’90-’98) / マツダ ミレーニア/ユーノス800 (’93-’03)ランティス (’93-’97) / ベリーサ (’04-’15) 

ミニバン/SUV/トラック

MPV (1988-2016)

初代 (’88-’99 LV)2代目(’99-’06 LW)3代目 (’06-’16 LY)

ビアンテ (2008-2017)

初代 (2008-2017 CC)

プレマシー (1999-2018)

初代 (’99-’05 CP)2代目 (’05-’10 CR) / 3代目 (’10-’18 CW)

ミニバン/SUV/トラック その他

ロータリーピックアップ (’74-’77) / プロシードマービー (’91-’99 UV) / プロシードレバンテ 初代 (’95年-’97年) / プロシードレバンテ 2代目 (’97年-’01年)  / トリビュート (’00-’06 EP) / CX-7 (’06-’11 ER3P)

軽自動車

軽自動車 その他

R360クーペ (’60-’69 KRBB/KRBC)シャンテ (’72-’76 KMAA) / AZ-オフロード (’98年-’14年 スズキ ジムニ― OEM) /  ラピュタ (’99年-’05年 スズキKei OEM) / スピアーノ (’02年-’08年 スズキ アルトラパンOEM)

その他

パークウェイロータリー26

マツダの概要

日本の中堅自動車メーカー、マツダ株式会社(MAZDA)は1920年1月に設立され、現在は広島県安芸郡府中町に本社を置いています。社名は、西アジアにおいて人類文明の発祥とともに誕生した神「アフラ・マズダー(Ahura Mazda)」および創業者の松田重次郎の姓から由来しています。コーポレートマークは「mazda」で、ブランドシンボルは頭文字の「M」をモチーフとした未来に飛翔するイメージが採用されています。

主な事業内容はガソリンおよびディーゼルエンジン搭載の乗用車・トラックの製造・販売などで、生産拠点は国内のほか中国やタイ、メキシコなどにも置いています。海外市場が主力となっており、もっとも販売台数の多いモデルは国内ではデミオ、海外市場ではCX-5となっています。

マツダ株式会社の概要(2017年3月期)

  • 本社所在地:広島県安芸郡府中町新地3番1号
  • 設立:1920年(大正9年)1月30日
  • 設立時の名称:東洋コルク工業株式会社
  • 代表者:金井誠太(代表取締役会長)、小飼雅道(代表取締役社長兼CEO)、丸本明(代表取締役副社長)
  • 資本金:2,589億5,700万円
  • 売上高:連結3兆2,143億6,300万円、単独2兆4,813億8400万円
  • 営業利益:連結1,256億8,700万円、単独456億8,400万円
  • 従業員数:連結4万8,849人、単独2万1,400人
  • 販売台数:国内向け23万2千台、海外向け:約130万2千台

コーポレートビジョン

  1. カーライフを通じて人生の輝きを人々に提供すること
  2. 地球や社会と永続的に共存するクルマをより多くの人々に提供すること
  3. 挑戦するこをと真剣に楽しみ独創的な「道(どう)」を極め続けること

ブランドスローガン

英語で自動車が動き出すときの音「ブーブー」を意味する「Zoom-Zoom」となっています。

マツダの沿革

1920年代~1940年代:コルク製造会社として創業

設立時の事業は瓶に栓をするためのコルクの製造で、社名は「東洋コルク工業株式会社」を名乗っていました。その後1927年4月に「東洋工業株式会社」に改称され、1929年4月に工作機械の制作を開始、翌1930年9月には府中町に新工場が建設されました。そして1931年10月に3輪トラックの生産を開始し、自動車メーカーとしての歩みが始まりました。追って1932年には、中国への3輪トラックの輸出が開始されました。

そして1945年8月に広島に原爆が投下されるも、本社・工場は直接的な被災を免れ、建物の一部が広島県に賞与され県庁の全機構が移設されました。

1950年代~1960年代前半:小型4輪トラックT1100/T1500のヒットからR360で乗用車市場に乗り出す

戦後に入ると、1950年6月に小型4輪トラックの「CA型」が発売されたものの、主力製品はより依然として廉価で法的にも優遇されていた3輪トラックでした。特に1959年に発売された「T1100」および「T1500」は、同時代を代表するベストセラーモデルとなりました。ボディサイズはT1100が全長4,360mm×全幅1,810mm×全高1,920mm、T1500が全長6,080mm×全幅1,840mm×全高1,920mmで、最大積載量は前者が1トンまたは1.5トン、後者が2トンでした。

エンジンは水冷4ストローク直4で、最高出力はT1100用1.1Lが46ps、T1500用1.5Lが60psでした。次いで1960年5月に、同社初の市販4輪乗用車となる「R360クーペ」が発売されました。当時の軽自動車規格に準じて開発されたモデルで、全長2,980mm×全幅1,290mm×全高1,290mmのコンパクトな2ドアボディのリアに、強制空冷360cc直2OHVエンジン(最高出力16ps/最大トルク2.2kgm)が搭載されました。

トランスミッションは4速MTまたは2速トルコン式ATが組み合わせられ、最高速度90km/hの性能を発揮しました。乗車定員は4名であったものの、後席スペースはミニマムで子供専用と割り切った設計となっていました。30万円という当時の4輪車としてはきわめて廉価な価格設定であったことから、発売当初はベストセラーとなりました。

追って同年7月には、西ドイツ(当時)のNSU社およびヴァンケル社との間にロータリーエンジンに関する技術提携が締結されました。これは、乗用車メーカーとしては後発であった同社が業界で生き残るためには、国内他社にはない独自技術を培うことが必須であるとの判断から行われたものでした。

マツダ キャロル360 1962-70

続いて1962年2月に、軽乗用車第2弾となる2ドアセダン「キャロル」が発売されました。リアに搭載されるエンジンは当時としては贅沢な水冷360cc直4OHV(最高出力18ps/最大トルク2.1kgm)で、さらに追って4ドアモデルが追加されるなど、快適性・実用性においてR360クーペをしのいでいました。

次いで翌1963年10月には、同社初の4輪登録車となる商用ライトバン「ファミリアバン」が発売されました。大衆車ブームの先駆けとなった一台で、全長3,635mm×全幅1,465mm×全高1,395mmのボディのフロントに800cc直4OHVエンジン(最高出力42ps/最大トルク6kgm)を搭載、4速MTを介して後輪を駆動するコンベンショナルな成り立ちのモデルでした。追って乗用登録のセダンやクーペが追加されるなど、ラインナップ拡充が図られました。

1960年代後半~1970年代:ロータリーエンジン搭載車「コスモスポーツ」販売

マツダ コスモスポーツ ’67-’72

続いて1967年5月、同社のロータリーエンジン搭載車第一弾となる2シーター・スポーツカー「コスモスポーツ」が発売されました。全長4,140mm×全幅1,595mm×全高1,165mmのスタイリッシュなボディに搭載されたA10型エンジンは世界初の2ローター式で、491cc×2の排気量から最高出力110ps/最大トルク13.3kgmという当時としては驚異的なリッター換算出力を発生しました。

駆動方式はFRで、4速MTを介して最高速度185km/h・0-400m加速16.3sの性能を発揮しました。また、実用性や信頼性にも優れており、その面ではすでに市場に投入されていたNSUヴァンケル社の「ヴァンケルスパイダー」をはるかにしのいでいました。価格は148万円で、同社のフラッグシップセダン「ルーチェ」は勿論、ハイオーナーカーの「トヨペット・クラウン」や「ニッサン・セドリック」などよりもはるかに高価でした。

追って翌1968年7月、「ファミリア1200クーペ」と共通のボディに10A型ロータリーエンジンを搭載した「ファミリアロータリークーペ」が発売されました。価格はコスモスポーツの半分以下の70万円と廉価で、ロータリーエンジン車の普及に貢献しました。続いて1969年10月、日産自動車およびフォードモーターとの3社による合弁企業「JATCO(ジャトコ)」の設立が合意されました。次いで翌1970年4月には、対米輸出が開始されました。

続いて1978年3月、1972年にコスモスポーツが生産終了となって以来6年ぶりの2シーター・スポーツカーとなる「サバンナRX-7」が発売されました。全長4,285mm×全幅1,675mm×全高1,260mmの2ドアクーペ型ボディには、当時の国産車として唯一のリトラクタブルヘッドランプが備わっていました。

駆動方式はFRで、エンジンは573cc×2ローターの12A型ロータリー(最高出力130ps/最大トルク16.5kgm)が搭載されました。トランスミッションは5速MTが組み合わせられ、最高速度180km/h・0-400m加速15.8sの性能を発揮しました。価格は123~169万円と本格派スポーツカーとしては廉価であったため、発売当初は大ヒットとなりました。追って翌1979年11月、フォードモーターとの資本提携が締結されました。

1980年代:5代目ファミリアがヒット。日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞

マツダ ファミリア 3DrHB 1980

次いで1980年代に入ると、まず同年6月にファミリアが通算4回目のフルモデルチェンジを受け、歴代モデル初のFF方式を採用した5代目BD型に移行しました。全長3,995mm×全幅1,630mm×全高1,375mmのディメンションを持つ3ドア/5ドアのハッチバックボディに、1.3L直4SOHC(最高出力74ps/最大トルク10.5kgm)または1.5L直4SOHC(最高出力85ps/最大トルク12.3kgm)エンジンが搭載されました。

プレーンなスタイリングや優れたパッケージング、2本のロアアームと長いトレーリングアームを組み合わせた独創的な「SSサスペンション」採用による高い操縦安定性などが好評を博し、5回にわたりライバルの「トヨタ・カローラ」などを抑え月間販売台数第一位に輝くなど、同社の歴史上最大のヒット作となりました。また、専門家筋からの評価も高く、1980-1981年度の日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞しました。

続いて1981年12月に新たな販売チャンネル「オートラマ」が設立され、翌1982年10月に同系列店からファミリアの姉妹車種「フォード・レーザー」および4代目GC型「カペラ」の姉妹車種「フォード・テルスター」が発売されました。カペラ/テルスターはファミリア同様トータルバランスの優れたファミリーカーで、1982-1983年度の日本カー・オブ・ザ・イヤーに輝きました。

次いで1984年5月、社名が東洋工業からブランド名であったマツダに変更されました。追って翌1985年1月には、アメリカに現地生産会社「MMUG」が設立されました。続いて同年8月に乗用車生産累計1,000万台を達成すると、翌1986年4月にロータリーエンジン車生産累計150万台を、さらに11月にファミリア生産累計500万台を達成するなど、記録ラッシュとなりました。

次いで1987年12月にスズキとの軽自動車生産協力が発表され、1989年6月にスズキの「エブリイ」および「キャリイ」をベースとしたOEM供給車「スクラム」が発売されました。追って同年9月には、ユーノス店系列より2シーター・オープンスポーツカーの「ロードスター」が発売されました。

ユーノス ロードスター ’89

長らく市場から姿を消していたライトウエイト・スポーツカーのジャンルに属するモデルであったため、この種のモデルを待ち望んでいた世界中のファンから歓迎され、日本のみならず欧米各国でも大ヒットに結びつきました。また、追って海外のメーカーからさまざまなフォロワーが登場するなど、業界にも大きな影響を与えました。

そしてこの1989年は、バルブ景気に乗じて販売店の多チャンネル化が図られた年でもありました。それまでのマツダ店/マツダオート店/マツダモータース店およびオートラマ店に、「ユーノス」店と「オートザム」店を加えた4チャンネル体制となりました。

1990年代:5チャネル体制の終焉とデミオのヒット

マツダ デミオ ’96

続いて1990年に入ると、同年12月に自動車生産累計2,500万台、翌1991年10月に商用車生産累計1,000万台を達成しました。追って翌11月にはマツダオート店が「アンフィニ」店に変更され、販売5チャンネル体制が完成しました。次いで1995年4月に自動車生産累計3,000万台、12月にファミリア生産累計1,000万台を達成しました。

さらに翌1996年4月には乗用車生産累計2,000万台を達成したほか、アンフィニ店が「マツダアンフィニ」店に変更されるとともに、ユーノス店がマツダアンフィニ店またはマツダ店に統合される形で廃止されました。

追って同年8月、セミトールワゴンタイプのFFハッチバック車「デミオ」が発売されました。立体駐車場への入庫も可能な全長3,800mm×全幅1,650mm×全高1,500~1,535mmのコンパクトなボディに、1.3L直4SOHC(最高出力83ps/最大トルク11kgm)または1.5L直4SOHC(最高出力100ps/最大トルク13kgm)エンジンを搭載するモデルで、実用性・居住性の高さが評判を呼び同社のドル箱的な存在となったほか、同年のRJCニュー・カー・オブ・ザ・イヤーにも輝きました。このデミオの商業的成功により、マツダは販売多チャンネル化路線の失敗による経営不振を脱することができました。

2000年代:RX-8で新たなスポーツカーを提案

マツダ RX-8 ’03

次いで2003年4月、それまでの「RX-7」に代わるロータリーエンジン搭載の新型スポーツカー「RX-8」が発売されました。ボディサイズが一回り大きい全長4,435mm×全幅1,770mm×全高1,340mmとなったほか、乗車定員が2名から4名に変更されました。さらに後席へのアクセスを用意にするため、「フリースタイルドアシステム」と呼ばれるセンターピラーレスの観音開き式ドアが採用されたことが特徴でした。

駆動方式はFRが踏襲され、エンジンは654cc×2ローターNA仕様の13B-MSP型「RENESIS」(最高出力210ps/最大トルク22.6kgmまたは最高出力250ps/最大トルク22kgm)が搭載されました。このエンジンは、同年のインターナショナル・エンジン・オブ・ザ・イヤーを受賞しました。次いで2008年9月、出力および環境性能を大幅に改善した新型クリーンディーゼルエンジンと、直噴エンジンの技術を活用した独自のアイドリングストップ機構「スマートアイドルストップシステム」の開発に成功しました。

2010年代:スカイアクティブ技術の新ラインナップで経営改善に成功

マツダ アテンザ セダン XD Lパッケージ 2015

そして2010年代に入ると、まず同年3月にトヨタ自動車からのハイブリッドシステムの技術ライセンス供与に合意しました。追って9月に新デザインテーマ「魂動」をモチーフとしたコンセプトカー「SHINARI」が、さらに10月には次世代技術の「SKYACTIV(スカイアクティブ)」が発表されました。このデザインテーマと技術は、その後の同社の方向性を決定付けるものとなりました。

続いて2011年6月、3代目DE系デミオにマイナーチェンジが施されると同時に、高効率直噴ガソリンエンジン採用により1.3Lクラス量販乗用車トップとなる10.15モード燃費30km/Lを達成した新グレード「13-SKYACTIV」が追加されました。次いで2012年2月、SKYACTIV技術を全面的に採用した初の市販車となる、クロスオーバーSUV「CX-5」が発売されました。

続いて同年6月にRX-8が生産終了となり、同社のロータリーエンジン車は45年の歴史に幕を下ろしました。なお、ロータリーエンジンの研究開発は今後も継続されると発表されました。次いで同年11月、新デザインテーマ「魂動」とSKYACTIV技術を同時に採用したプレミアムモデル、3代目GJ型「アテンザ」が発売されました。

続いて2013年11月、小型乗用車「アクセラ」が3代目BM/BY系にフルモデルチェンジされるとともに、同社初のハイブリッド車「アクセラハイブリッド」が設定されました。ハイブリッドユニットは、2L直4ガソリンエンジンと電気モーターを組み合わせたトヨタ流のスプリット型が採用されました。次いで2015年5月にトヨタ自動車と業務提携に向けての基本合意に至り、同年9月にはフォードモーターが全株式を売却して長年に渡る資本関係が解消されました。